大学院修了を諦めてしまいそうです
こんにちは。現在人文学系の修士課程にいる者です。一年休学をして今年論文を書こうとしているのですが、どうしてもうまくいかず、現在の自分、そして将来に完全に迷ってしまいました。
そもそも私は自分のアイデンティティが「勉強すること」であると思い込んでおり、きちんと大学院という場所を理解せぬまま当然のように進学してしまったため、自分で方針を固め研究を進めることがうまくできず、自分の無能さと主体性のなさ、それ故にどれだけ焦っても進まない研究に自信を失い、何をどうすればいいのかわからないまま、昨年一度修論執筆の時期を迎えました。そんな状態ではどうしても論文の問いを立てることができず、パニックになり何も手につかなくなってしまい、1年間休学をしました。その間心療内科等に受診しつつ色々と考え、一度は中退を決意したのですが、教授からの説得があり、やはり今年論文を書くことにしました。
ですが、ここに来て当然のことながら昨年と全く同じ問題に直面しており、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまっています。書けることを書いて修了するしかないと思うのですが、パソコンと文献に向かうたびに、もはや何をどう書けばよいのか分からず、日々「もう書けるわけがない」という思いを強くしています。教授には指導をしていただいていますが、話をすればするほど何を書けばいいのかわからなくなります。しかし、今辞めてももはや文系修士で一年休学して中退した人間に何かできる仕事があるとは思えず、まともに自立することも生活することもできずに腐っていくのだろうと思うと、中退に踏み切る覚悟もなく、毎日明日が来るのに怯えて逃げています。
両親や周りの優しさや力に甘えてその恩を返すこともできず、周りの意見に流され、自分で決めたことも完遂できない自分に失望し、最近はもう感情を半分切り離してしまっているような、要するに無気力の闇に呑まれかかったような状態です。
自分自身の弱さに負けて人生を棒に振るのが恐ろしく、そのためには修了せねばと思う反面、もうどう考えても書けないだろうという思いもあり、自分の進むべき道かわかりません。このような自分がこれから先まともに生きていけるのかも不安です。
乱文な上、甘ったれた情けない相談で申し訳ありません。何かアドバイスを頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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研究への興味を振り帰り、テーマやフィールドを絞り込む
一応文系修士を修了してます。修論で何をやったら良いかが決まらない状況は辛いですね。文系でも、文学(国文、英文、仏文)、言語、社会、心理、文化、哲学、地理、歴史、経済、経営、法律、政治等ありますね。私は仏教学宗教学の専攻でした。自分の拙い経験でしか語れませんが、幾らかでも参考になれば幸甚です。
私の場合、山岳信仰に関するテーマで民俗調査と文献収集を始まました。先行研究も少なく参考文献も少ないので、途中で壁にぶち当たりました。でも、歩いて聞き書きしたこと、地誌や郷土資料からわかったことを取り敢えず整理して、項目ごとに書き始めました。あっちこっちの項目を取敢えず書き進め、すると次第に繋がり視界が開けてきました。後で章立てやタイトルを修正して何とかつなぎました。資料や文献の引用部分が多かったことで、論文の枚数だけは結構な分量になりました。
でも、提出後に読み返してみると、多くの欠陥がありました。反省点もありました。他の修士生でバイトと就活が忙しく。学部時代の卒論を増量してとにかく提出したという人がいました。
あまり高い質の論文でなくても止むを得ないと思います。修士課程で学んだ証として今の自分が出来る範囲で枚数を整えて提出を目指しましょう。ハイレベルな論文を書ければそれに越したことがありません。でも、現実にはかなりしょぼい修論を提出している方もいます。博士課程や講師の方が大学の紀要の論集に載せている論文だって、感心するもののたくさんありますが、よくこんな論文出せたなあと思ううものも時にはあります。みんな苦しみ、納得出来ない出来でも、やむを得ず提出しているんです。
1、 自分の専攻の中で、興味関心を抱いたテーマはあると思います。
2、あまりテーマを広げないで、自分なりの関心や疑問に沿った論文や文献を亘ってみましょう。
3、自分なりの視点で論究したい点を決めましょう。そしたら、それを補強する資料を捜しましょう。
4、①疑問関心の発端
②先行研究の整理と問題点
③自分の分析と論点
大きい結論を目指して書こうとすると、書けなくなります。小さな結論をいくつか書いてみましょう。すると、繋がってきますよ。こんなこと言われなくてもわかるでしょうが、まずは書き始めましょう。必要枚数書いて提出しましょう。