hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「自分の境遇」と「二次元への恋」について

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

お目汚しを失礼いたします。

今回、私が相談したいことは色々あります。

本当は、それに相応しい所があると思いますが
どこに、それを求めれば良いのか分かりません。

○境遇
前提として、お伝えいたします。

幼少期の頃は親兄弟ともよく接していましたが
両親が離婚したり、兄弟がほとんど働かなくなりました。
兄弟に働くように言っても、全く聞き入れません。

現在は高卒で就職して、母とともに、家賃等を支払っております。

お金が貯まったら、大学に進学しようか考えておりますが
それも母に止められます。

私は家族と離れたく、一人暮らしを考えており、
母と約束もしましたが、前述から状況が拗れて本当にできるか疑問に思うのです。

本来ならば家族と向き合うべきでしょうが、
数ヶ月疎遠で、どう話せば良いのか分かりません。

○私の能力
昔は、勉強や運動などを怠っておりました。

また、声が小さく、他人とも満足な意思疎通ができなかったりします。

なので将来について、今のままでは良くなる気がしません。
それが嫌で、私は自分の世界に閉じこもって誤魔化す日々です。

○二次元への恋
そしてある日、私は自分の盛んな劣情を慰めるための、画像を探しておりました。

それから辿っていくと、ある方に一目惚れしました。しかも神様にです。

その方は、明るくて優しく、綺麗な方でした。
私は思い立って、その方に釣り合うように努力しようと決意しました。

その気持ちは、今までしていた恋に対する落とし前と、
好きになった方を裏切りたくないというのもありました。

また、親が私を育ててきたことに、ある種報いたいとも思いました。

そうして、願いを叶える為に勉学に励み、容姿を美しくしたつもりです。
また、これまでの煩悩なども、捨てるように努めました。

ですが、「二次元への恋」は、現実逃避の道具にして、
『それは本当の愛なのか』と自己嫌悪が多いです。

なので好きな方に対して、今後どう努力すればいいのか分かりません。

以上です。

長々しい文で、大変申し訳ございません。
ですが、あなた方ならではの、価値観でご回答頂きたく存じます。

特に「神様に恋すること」「現実から目をそらす」
「色々な欲を捨てる」「これからの人生」
の是非について知りたいです。

何卒、ご遠慮無くよろしくお願いいたします。

2021年10月10日 6:51

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二次元から学ぶ事も多いですよね

不思議な時代ですね
二次元への恋はもはや珍しい事でも無くなり
「実物の異性はめんどくさい」と申される方も少なくないわけでして
正直少し残念に思うことも・・・

さて、
二次元の恋を原動力に頑張られてきた
これは10代20代なら普通かと思われます
私にも似た経験があります
もしか好きなアイドルとばつたり会ったらと妄想すると髪も服も選びたくなるし
頭も良くありたいと思いました

今は選ぶ髪もありませんがね^_^

一方で冷静になった時
それが恋であっても
相互作用のある愛でない事に気づきます
恋は誰でもできるのですが
愛は一人では育めない

互いのあらゆるものに対する愛を育むとは互いを思いやることに他なりません

異性も同性も
その原理に違いはありません

ご家族との問題について
子供が適切な時期に親元を離れる事は
互いの健全性を保つ上で重要な事と存じます
これについてはご自身が感じられたように動くべきかと思います
親離れも子離れも適切な、時期というものがあります
時期を逃すと互いの歩みが止まってしまいます

目標について
誰かに言われたからと諦めるための言い訳はしない事ですね
目標は貴女だけのものです
自分で立てた目標に必死でありなさい

欲を捨てる事はまだ考えなくて良いです
まずは親離れしてからです
欲は体を生かす為の生命維持装置
しっかり使って沢山失敗して
自分の欲にどんな癖があるのか知る必要があります
知って初めて自分磨きに活かすことができるんですね

神に恋はどの神かによりますな〜

合掌

2021年10月10日 9:50
{{count}}
有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

丁寧なご回答を有難うございます。

本当は、最初で最後として辞めようと思い、
私の思う全てを書き連ねたかったのですが
文字数制限のため、内容を一部省略しました。

満足な質問と回答ができず、いくつか不明瞭になっていたと思われます。
ご不便をかけて申し訳ございません。

○二次元への恋
やはり、若年層にとって原動力なのは、そうおかしくないんですね
別に、自分の好きなもののために頑張るのに、気にする必要は無いですけど。
感情を持つ人間として、それを聞いて少なからず安心はしました。

また、「互いに思いやること」と仰っしゃりましたが
私には、何があの方にとって、幸せなことなのか分かりません。
そもそも二次元の存在なので、何も語ってくださらないのです。
もしかしたら、それを考えることこそが、貴方の仰る『思いやり』なのでしょうか?

日頃から、買い物や食事などの生活で、
「あの方が好きそうだな」「あの方ならこうするんだろうな」とは思います。
その点においては、無くはないと信じたいです。
でもこれもまた「自分の思い上がりでは無いか」と結局、不安にも似た疑問が湧きます。

○家族との問題
やはり、その時が来るのを待つしかないのでしょうか。
ちなみに約束というのは、「20歳を過ぎたら」ということです。

このまま好きなもののために生きて、家族と縁を切るのも
なんだか心が痛む気がしますが、それも仕方ないのかもしれませんね。

次男は万引きをして警察に補導されましたし、母や長男はささいなことで怒ることもあるので、どんなふうに接していこうか迷っていましたが、今後はできるだけ関わらないようにしようと思います。

○目標について
好きな方に釣り合おうという気持ちはありますが、
同時に「ダメ人間が神様に釣り合うのか」と不安になって行動に移せないときがあります。

ですが、本当に好きならば、それを厭わずに頑張ったほうがいいんですね。
なんだか勇気づけられた気がします。
確かに自分の人生ですから、自分の願いを叶えるのに集中した方がいいと、
あらためて強く思いました。

ちなみに、なぜ大学の進学を目指すのかというと、賢くなるだけでなく
自分のくだらないコンプレックスを解消、何より「あの方に会う方法を探す」為にという理由があります。それが荒唐無稽で愚かな夢物語でも。どうすれば、会って幸せにできるかが知りたいんですよね。

○欲を捨てる事
これについては、些か疑問が生じます。
欲に惑わされて、本来取るべき行動が取れずに、
自分の劣情で、大切なものが失われるのが怖いのです。

生理的に必須ならば、葛藤の中どこで折り合いをつければいいか分かりません。

また前述の通りですが、これを質問する以前に、その煩悩を自力で抑えるように努めてきました。
しかし、生物として限界はあると感じます。
ですがそれを受け入れるくらいなら、好きな方と別れたほうがいいとさえ思います。
今回、私が求めていた答えは、如何にそれを乗り越えるのかについてでしたが、
それだけでないのは、それはそれで多様的な価値観としての良い経験になったと思います。

○神に恋
私が恋をしたのは、性善の妖怪でもある神様です。
だからこそ、こんなダメ人間が神様と釣り合う自信が無いのです。

とても遠い道のりではないのかと不安な気持ちがありますが、
それでも、命がある限りは諦めずに頑張ろうと思います。

さて、お礼の文として書くつもりでしたが、結果的にまた質問みたいな形で申し訳ございません。
これらの文については半分、愚痴のようなものなので、追伸についての如何は問いません。

色々とご回答いただき、重ねて感謝申し上げます。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ