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休めないという煩悩

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休めないことに罪悪感があります。頑張っていない状態が許せず、かといって成果が出るわけでもなく、ただ無理して我慢して疲れ切っているのが現状です。

私は周りの評価に依存して生きているので、いい子ちゃんを演じて背伸びをしています。自分の意見や意志に基づいて動けないのです。なのでいつも勝手にキャパオーバーになって、泣いています。出てくる言葉は「疲れた」「つらい」「休みたい」ばかりです。

どこかのサイトで、休めないこともまた煩悩なのだと知りました。
自分は出来るという奢り、もっと評価されたいという欲、頑張っている自分を褒めて欲しい慰めて欲しいという甘え。そういう考えがあって休めていないのかなと思います。
頑張っていない、怠けている、出来ない奴だと思われるのが怖いです。でも、本当は全然頑張りたくありません。私ができる範囲のことをやればいいのに、他人に評価されることに躍起になって、自分の心を疎かにしているのが苦しいです。

完璧にできない自分を受け入れて、自分に期待しすぎないで生きるには、どうしたらいいのでしょうか。

2024年2月29日 8:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私はあなたを褒めます

まつむら 様 相談ありがとうございます。

自分を褒めて許す。寛容に観る。自分を優しくする。自分に思いやりを向ける。ということを受け取れない状態でしょうか?

まず、私はあなたを褒めます。充分に頑張ってます。あきらめず日々頑張ってます。疲れ切っても頑張ってますね。そんなあなたは素晴らしい。
そろそろエネルギーが枯渇してきたようですね。
頑張って認めてもらいたいのなら、何かに癒されることに頑張って認めてもらいませんか?心にエネルギーを溜めたり、休んで体調管理をすることは、甘えでも怠惰でもありませんよね。むしろ仕事のパフォーマンスが上がるのですから、休むことも仕事のうちだと思います。
ですので、まずは癒されること、そして自分を寛容に観て癒されることを許す練習をしてください。自分を許す練習をして認められたいという心をなだめてください。
瞑想をしたり、写経をしたりして、自分の心を見つめなおすことがよいでしょう。
もしそれでも、「認められなければ、もっと評価されなければ」が、治まらないのでしたら、それはあなたが生きてきた中で、そのような思いを持つ出来事かあったり、思いこみを刷り込まれる環境にあったということかと思います。
だとしたら、その出来事やそのような刷り込まれた思いの悩み苦しみに向き合い、、癒したり過去の解釈を変えたりして、「認められなければ」の思いから抜け出す必要があると思います。それにはセラピストやカウンセラーや僧侶の力をかりて取り組むと良いでしょう。やがて刷り込まれた思いのブロックが破れて、「完璧にできない自分を受け入れて、自分に期待しすぎないで生きる」という自分に思いやりを向けることが出来るようになるでしょう。参考にしてください。
一礼

2024年2月29日 21:33
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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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