休めないという煩悩
休めないことに罪悪感があります。頑張っていない状態が許せず、かといって成果が出るわけでもなく、ただ無理して我慢して疲れ切っているのが現状です。
私は周りの評価に依存して生きているので、いい子ちゃんを演じて背伸びをしています。自分の意見や意志に基づいて動けないのです。なのでいつも勝手にキャパオーバーになって、泣いています。出てくる言葉は「疲れた」「つらい」「休みたい」ばかりです。
どこかのサイトで、休めないこともまた煩悩なのだと知りました。
自分は出来るという奢り、もっと評価されたいという欲、頑張っている自分を褒めて欲しい慰めて欲しいという甘え。そういう考えがあって休めていないのかなと思います。
頑張っていない、怠けている、出来ない奴だと思われるのが怖いです。でも、本当は全然頑張りたくありません。私ができる範囲のことをやればいいのに、他人に評価されることに躍起になって、自分の心を疎かにしているのが苦しいです。
完璧にできない自分を受け入れて、自分に期待しすぎないで生きるには、どうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私はあなたを褒めます
まつむら 様 相談ありがとうございます。
自分を褒めて許す。寛容に観る。自分を優しくする。自分に思いやりを向ける。ということを受け取れない状態でしょうか?
まず、私はあなたを褒めます。充分に頑張ってます。あきらめず日々頑張ってます。疲れ切っても頑張ってますね。そんなあなたは素晴らしい。
そろそろエネルギーが枯渇してきたようですね。
頑張って認めてもらいたいのなら、何かに癒されることに頑張って認めてもらいませんか?心にエネルギーを溜めたり、休んで体調管理をすることは、甘えでも怠惰でもありませんよね。むしろ仕事のパフォーマンスが上がるのですから、休むことも仕事のうちだと思います。
ですので、まずは癒されること、そして自分を寛容に観て癒されることを許す練習をしてください。自分を許す練習をして認められたいという心をなだめてください。
瞑想をしたり、写経をしたりして、自分の心を見つめなおすことがよいでしょう。
もしそれでも、「認められなければ、もっと評価されなければ」が、治まらないのでしたら、それはあなたが生きてきた中で、そのような思いを持つ出来事かあったり、思いこみを刷り込まれる環境にあったということかと思います。
だとしたら、その出来事やそのような刷り込まれた思いの悩み苦しみに向き合い、、癒したり過去の解釈を変えたりして、「認められなければ」の思いから抜け出す必要があると思います。それにはセラピストやカウンセラーや僧侶の力をかりて取り組むと良いでしょう。やがて刷り込まれた思いのブロックが破れて、「完璧にできない自分を受け入れて、自分に期待しすぎないで生きる」という自分に思いやりを向けることが出来るようになるでしょう。参考にしてください。
一礼