周囲に迷惑を掛けてしまう事が苦しいです
私はこれまでの人生、家族、周囲の人に支えられ、大学卒業までは周囲のおかげで何不自由ない人生でした。
しかし、社会人になってから、自分自身の仕事の出来なさ、周囲に迷惑をかけて生きている自分に失望する日々です。
私のあまりの仕事の出来なさで苦しくなってしまい転職を重ね、社会人3年目にして現在の会社が3社目になります。
(学生時代のアルバイトでもそのような節はありましたが、正社員ほど責任が重くなかったのでトラブルに発展することはありませんでした。)
最近現在の職場で、私の不注意で先輩方が怒鳴られ、頭を下げさせてしまうことがありました。
先輩方は、ミスは誰にでもあるから切り替えて頑張ろう、などと励ましてくださりましたが、申し訳なさや自分への失望が深まるばかりでした。
普通ありえないようなミスをしてしまうので、どう切り替えて、どう防いだら良いかも分からない状態です。
ここまで育ててくれた両親のため、生きていくために今後一生働かなければなりません。
しかし、頑張りたいという気持ちとは裏腹に、自分が働く事で多くの人に迷惑を掛けてしまうので、自分が存在している事すら申し訳なく感じています。
自分の甘さや未熟さが招いてしまっていることですが、今後どう生きていくべきか分からず、周囲に迷惑をかけている日々がただただ苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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普通とはいったい、何なのでしょうね
ひかるさんこんにちは。
私も社会人2年目で昨年は、あまりにも仕事がうまくいかないことから、精神に支障をきたし、内服薬を飲んでいました。現在は内服もやめ、ある程度「普通」に仕事をしていますが、またあのときのような状態になるのだろうかと、ふと不安に思うことがあります。
私は教員もしているので、日々いろいろな子どもたちに出遇います。子どもたちといえども、一人ひとりの違いは我々大人になってしまった人達にも当てはまるのではないかとおもいます。
そんな日々のなか思うのが「普通」とは何かということです。「普通」だったら出来るだろうと思うことができない子どもがいたり、他の子はできているのにできない子もいます。例えば、机の中の整理などで、同じものを同じところにそろえて置いておけばいいのですが、それができないという事があります。人間には、物がそろっていないという事が認識しづらい人もいるそうです。
なぜこのような例をあげたかというと、昨年悩んでいた私も、ない「普通」を自らが作り上げていたのではないかと思ったのです。「一年目でも『普通』ならこんなことできるはずだ」というようにです。自分が思っているような「普通」のことでも、いざやるとなると自分にとっては「普通」ではない、難しいことなのかもしれません。人は誰しも知らず知らず、周りの人や自分が作り上げた「普通」と比べて生きてしまうために、生きることが苦しくなるのかもしれません。
ひかるさんは三年目にして、三社仕事場を変えておられることから余計に焦っておられるのかもしれません。毎年会社が変わるなんて「普通」ではないと感じておられるのではないでしょうか?焦っていらっしゃるために、うまくいかない事もあるのかもしれません。なので、少しリラックスすることも大事なのかもしれませんね。
私も以前はとても周りの人からしてもらったことに報いなければならないと思っていました。しかし、してもらった人に返していくことは非常に難しいと思います。かけてもらった優しさは、別な出遇った人に返していってもよろしいのではないでしょうか?
自分の気質というのはすぐ変えられるものではありません。むしろ、変える必要はないのかもしれません。今の自分とうまく付き合っていく、自分を抱きしめて生きていくことが大切なことなのではないかと、私自身も受け止めております。