因果応報はあるのですか?
相談するたびに温かいお言葉を沢山の方々からいただき、その言葉を励みに生きています。
今回は、謝らなければいけないと思って書かせていただきました。以前相談した、私の過去の行いについてです。あの時の段階では、不安の出来事は妄想だと自分でも半ば思っていて、相談していました。しかし、後になって、不安の一部分は事実であると分かったのです。全ての不安が現実ではありませんが、実際に、いけない言葉を送ってしまっていたという事です。これは、妄想とかではなくて、よくよく思い出し整理したら現実でした。沢山の方々に心配と励ましの言葉をいただいていたのに、私は裏切ることを過去にしていたのです。本当にすみませんでした。
過去の私は、悪意を持って送信した訳ではありません。不安になってどうしても確認したくなって、それが止められなくて、気づいたら送っていたのです。ですが、どんな理由があれ、結果として、私は罪を犯してしまったことになります。そのことから、1年経ちましたが、とんでもないことをしてしまったと今さら、思います。私はどうすれば良いのでしょうか?自分の保身ばかり考えてしまいます。この事を知っている家族は、私を優しく受け入れてくれました。沢山泣いて、沢山謝りました。7回忌で祖父の家に帰ったとき、ご先祖さまにも謝りました。
私は因果応報が現実に起きるのでないかと不安になりながら、今できることをしています。そうしないと罪悪感が私を苦しめるからです。自業自得なのは分かっています。それでも私は、これから幸せに生きたい。心が平穏で、日々を過ごしたい。
私は、もう同じ過ちはしないと決めて、生きています。私の心に傷みたいな形で残っています。こんな私でも、幸せになっていいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたは仏教に生きたいか
こんにちは。
あなたが様々に思い惑う心中を察します。
ただ、ここからはあなたの思いは一旦置いておいて、仏教の基本的な考えを白紙から学ぶつもりで聞いてください。
「自業自得」と文中にあります。
人間は、「業」つまり行い(心、体、口)を一瞬ごとに為しています。
それは、過去に為した業もある。
現在になす業もある。
それらの「業」は様々な他者の「業」や縁(時代、社会、人間関係などの諸状況)と結びついて一定の結果になります。そして、その結果を引き受けつつ(「自得」しつつ)、現在、そして未来に向けてどういう「業」をなしていこうか、こう考えるのが「自業自得」です。
つまり、「業」は過去にも当然あるが、現在、未来に向けてどうするかを考えるものであって、過去にこんなことをしてしまったから取り返しがつかない、という考えでは全く無いことを基本として捉える必要があります。
あなたの今回と過去の投稿を見ると、極端に言って99,9%過去の「業」に偏っています。むしろ、あなたは過去に生きているといっても過言ではないのです。もし、あなたが仏教以外の独自の考え方や、運命論を志向するのなら私は何も言いません。ご自身が思うように考えたら良いのですから。
しかし、少なくともあなたの考え方は、仏教の「自業自得」ではありません。
仏教的な考えに生きたいのなら、こう考えてください。
自分が誤ったことをした、反省しよう、謝罪もしよう。
そして、ここで切り替えるのです。
さあ次の「業」をどうしていこうか。
仏教で言う善い「業」ってなんだろう。
なぜ、その「業」が勧められているのだろう。
「幸せに」なるって、どういうことだろう。
「幸せに」なるって、どうしていくことだろう。
あなたは仏教に生きたいかどうか。
まず、そこから再確認してください。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
私が思っていた自業自得という言葉の意味は、過去のことだけだと思っていたので、現在、未来をどう過ごすかと言うことも含まれると分かり、勉強になりました。
私は、仏教の考え方で生きたいです。自分を許して、現在、未来をどう過ごせば幸せになれるかを考えて、生きていきます。