大好きな母の死後
大好きな母が半年ほどの闘病の末、あっという間に亡くなってしまい、もうすぐ5ヶ月になります。
セカンドオピニオンや、もっと出来ることがあったのではと悔やむことばかりです。
また、死が近いことを母、本人に気づかれたくなく、入院に付き添った際も普通に別れてしまい、感謝の言葉もつたえられず、その後はコロナで面会できずで、やっと面会を許された時には意識がなく話せませんでした。
人生100年時代に、なぜうちのお母さんは70代で亡くなってしまったんだろう。
良い行いをし、お寺にも通い、仏様を信じていた母が、最期は痛くて辛くて可哀想だったと、何度も思い出し涙が出ます。
母が、天国で喜んでくれるにはどうすべきでしょうか、お導きください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人はなくなることでより近くなる
お母さまは仏となられました。迷ってはいません。
今迷っていられるのはあなた自身です。あなたが思いを巡らせお母さまとしっかりお別れができなかったことを悔やんでいられるのですね。
大丈夫です。お母さまのことは心配しないでください。
あなた自身が法事やお墓詣りをきちんとして、言葉をかけたり、お別れをすることができれば、それが供養となるのです。
分かれたさみしさや後悔、苦しみと向き合い、救いの道へと導くのが法事であり、供養というものです。残されたものの気持ちを救ってくれます。きちんと供養をしてお坊さんから導きのお話をしてもらってください。さみしさから解放されると思いますよ。
人はなくなってもいのちの働きは続いていきます。のどが渇く、水を飲む、のどが潤う。雨が降る、ポツポツと音がする。音があると全身に響く。みんな命の働きです。お母さまそのものです。すぐそばにお母さまがいると思ってください。風や道端の花、香り、味、すべて命の働きお母さまですよ。
質問者からのお礼
邦元様
ご回答を頂きありがとうございます。
人はなくなることで、より近くなるのですね。
そのお言葉に、救われ心が暖かくなりました。
母はいつも傍で見ていてくれるのですね。
私が子育てを頑張っていることをいつも見ていて、守ってくれている、そう思って強く生きたいと思います。
写真にいつも話しかけますが、聞こえているのですね。
頑張ろうと思ったり、涙したりのくりかえしですが、母の命がそばにあると信じてクヨクヨせず明るくいたいとおもいます。
また、迷う時は御相談させてください。
ありがとうございました。