過去の栄光に恋焦がれてしまう
お初にお目にかかります。私は最近、「過去の栄光に囚われている」と感じるのです。
そう思うようになったきっかけとして、インターネットを始めとするメディアで「地方の衰退」についてや、様々な催しごと(私はアニメやゲームが好きなのでその手のイベントと捉えて下されば幸いです)が東京に一極集中している事実をまじまじと触れる機会がありました。
(私の地元が沖縄という地方にあったり、好きなアニメの聖地巡礼として地方を訪ねる趣味があります)
触れれば触れるほどに、「東京(最先端を行く中心地、とも読み替えられます)と光を失っていく周辺」との対比に嘆きを覚え、同時に
「どうしてこうも容易く地方(地元)を捨てて東京に逃げるのだろう」という怒りも覚えるようになりました。
廃れてしまった地元にも「光り輝いていた時代」は間違いなくあったのに。そこで私は「あの頃の光を取り戻したい」という願望を強く持つようになり、その為に建てるべき道筋、先人達が通っている軌跡を調べ始めました。
ですが突きつけられたのは東京との埋まらない格差。具体例を挙げると交通インフラなどはもう、とても同じ時代の同じ国にあるとは思えないほどの開きがあります。
地方でコミックマーケット(日本最大の同人イベントです)を開催すれば良いのではと主張をしてみたものの、上述した理由から手痛い指摘を受けました。地方はもう壊滅している、と。東京にしか人は集まらない、と。
頭ではそういう現実なのだろうな、と薄いながら覚悟はしていたつもりでした。
ただ、この出来事の末に私に湧き上がってきたものは「たったそれだけの理由で東京に逃げるのか」「血も涙もない奴だ」というものでした。
「多少強引な手段を用いてでも金や人や機会といった先立つものを得られればあの頃の光が返ってくる」と思っていたのですが、どうもそれで上手くいく訳ではない上に、そういったことを望む人はあまり多くないようでした。
どうしてだろう。私はただ「あの頃の光」をもう一度見たいだけなのに。
もう一度自問した結果、「衰退することを自分でも引くくらいに嫌悪している」という自分がいることが分かり、そうさせているのは「過去の栄光に囚われている」からではと答えを得ました。
しかし答えを出したところで私は「過去の光」から逃れられない。前に進む術が見つからない。どうしたら良いでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まさに「諸行無常」ではないでしょうか。
心愛さん。私は政令指定都市在住ですが、まさに今日、地域の衰退化について整骨院の先生(経営者)と雑談していました。私もあと数年で東京に移住したいなあと考えています。時代の流れに対して、われわれ全員が不可逆ですし、波に上手に乗るしかないのだと思います。私の住む政令指定都市も目に見えてわかるように、衰退しています。すなわち、EVERYTHING IS CHANGING...諸行無常です。
例として、衰退化という大波に抵抗するのには相当な精神力や体力がいりますが、「攻略する」のはいかがでしょうか。つまり、地域の現状を「生かす」ということや、これは私にも言えることなのですが、たとえ崇高であっても、他人に自分の影を重ねないほうが幸せなことも多い気がします。
回答はこの辺にしてよければ個人相談でお話しましょう。肩の力を抜いて息を吸えば、あなたの身体に入るのは、地域の風そのものです。あとはどの様に生きるのか、考えるのは一生の宿題です。
質問者からのお礼
お返事、大変遅くなってしまい申し訳ありません。
あれから大なり、小なり色々考えてみました。まだ諸行無常は私にとって冷酷で恐ろしいものではありますが少しずつ前に進む足掛かりが見えてきたものだと思いたいです。
ありがとうございました