過去のことで自分を責め続けてしまう
前の質問でオンライン相談なども進めていただき、考えてみましたが対面して人と話すことに昔から苦手意識があるため質問で失礼致します。
他のことを考えるよう心掛けていましたが、どうしてもモヤモヤと考えてしまうため、申し訳なく思いますがまた質問させてください。
自業自得なので考えないようにしていましたが、周りの人に知られてるかもしれないという思いがありこわいのかもしれません。
とある事情でバレているかもしれないため不安があります。
元々人と関わることが苦手でしたが、最近は人と話すこと、会うこと、外出さえも以前より恐ろしく思うようになってしまいました。
また、何度も質問し回答いただいているのに、何度も何度も仕事に過去のことや人間性は関係ないのかと考えてしまいます。
仕事等で関わる人や知り合いなど誰にも言わない、何らかの事情でバレても誤魔化す、知らないふりをするべきか
自分から言う、もしくは言わないけれどバレたら正直に認める、話す方がいいのか。言いたいことではありませんが言わないことが本当に正しいのか分かりません。
言わないこと、知らないふりをして誤魔化すことは罪にはなりませんか?罪を重ねることにはならないのでしょうか。
他の人が不祥事で責められているとき、犯罪のニュースを見たときも自分が責められているように感じて、申し訳無さとどうしてあんなことをしたのだろうという気持ちでいっぱいになります。
自分は犯罪者のようなものだ。クズだ。と責める気持ちは捨ててしまっていいものなのでしょうか?
自分を責め続けなくてもいいのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
匿名 様 相談ありがとうございます。
過去の行為からくる罪の意識が、今の生活にも及ぼしているようですね。
勇気をもって、自分のことを打ち明けてくれてありがとう。それだけで素晴らしいと思います。
おそらく、安心や安全感を感じていけば、罪の意識が軽くなっていくのではと思います。実は人は、多面的なのですが、罪の意識に捕らわれていると、それにのみ心の注意が行き、身体の感覚もこわばったようで、考え方も不安となったままで動けなくなっていきます。ところが少し自分を客観的に見てみると、ちょっと楽な気持ちの部分があったり、罪の意識から少し離れた気持ちで優しさを感じることのできる自分がいるはずです。
あなたにとって、優しさや、あたたかさ、安心や、安全を感じることは何でしょうか?あるいは心がホッとする瞬間は何でしょうか?イメージでも構いません。
そのあなたが感じた、優しさや温かさに、今度は包み込まれているようなイメージをしてみましょう。最も親しい人に優しく包み込まれているような感じです。
その感じ、感覚にしばらく浸ってみることです。
最初は慣れないでしょうが、瞑想するように、深い呼吸とともに、そしてよく、過去の自分を客観的に見てみてください。もしかしたら、寂しさとか、切なさとか、やるせなさ、虚しさの自分がいて、それが環境や状況の何かの切っ掛けで縛られてしまった自分だと気づくかもしれません。そのように、思いやりをもって、より丁寧に、自分を見たとき「罪の意識に苛まれているのは、自分のせいではない。自分が悪いのではない」というような思いがでてくると思います。本当ですよ。
そうして、優しい思い、安全・安心な落ち着いた思いを大きくしていって、
慈悲の優しさや温かさに触れて包まれたように感じた時、人は自分も他人も責める必要が無くなっていくのです。
質問者からのお礼
釋 孝修様
返信ありがとうございます。そしてあたたかい言葉をかけてくださってありがとうございます。
心がホッとする瞬間を考えて、イメージしてみましたが、少し難しく上手くイメージ出来ませんでした。
また苦しくなった時は教えてくださったように試してみることにします。ご丁寧に方法を提示してくださってありがとうございます。