人間が気持ち悪い。考え方を変えたいです。
人間が気持ち悪く感じてしまい、生きることが苦しいです。
他人の悪口で笑い合ったかと思ったら、当人が来たら何事もなかったように接する。気に入らない人がいたらバレないように蹴落とす。関わりのない事でも妄想を働かせて好き勝手に言いふらす。
責任はとらない。された人の気持ちなんて考えない。狡猾に表面だけは親しげにする。
処世術として社会で生きていくためには必要なのかもしれませんが、どうしてもこういったことが受け入れられず嫌悪感が拭えません。
そして自分も彼等と同じ人間であるということも気持ち悪くて、人そのものに前向きな感情が持てなくなってしまいました。
私は幼い時から人が怖くて関わることを避けてきました。家庭に問題があり、親の暴力を受けたり近所の人に後ろ指をさされてきたからだと思います。
学生の間はそれでもどうにか生きてこれたのですが、社会人になって仕事で人付き合いが避けられなくなり、悪化して今の状態になりました。
潔癖すぎるのでしょうか。あの人達と同じ様にしなければ普通になれないのなら、生きたくないとも思います。
まとまりのない愚痴のような文章で申し訳ありません。
少しでも生きやすくするために考え方を変えたいと思っています。何かお言葉をいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どう生きたいか?どんな人と付き合っていきたいか?
質問読ませていただきました。
人間の自分勝手さに心悩まされているのですね。心中お察しいたします。
さて、たしかにレナさんのおっしゃるような人は世間にたくさんいらっしゃいます。しかし、必ずしもそんな人ばかりとは限りません。
1つ私の経験をお話させていただきます。
大学時代にサークルの後輩達と複数人で徹夜でカラオケに行って遊んでいました。そして、朝になってみんなで電車に乗って帰ろうとしたときに、人身事故で1時間以上電車が止まってしまいました。
みんな、「早く動いてくれ」とぶつくさ文句を言っていたのに、そのうちの1人の女の子だけは人身事故にあった人のことをずっと心配して悲しんでいました。その子は、普段から人の悪口など一切言ったことがなく、いつも明るく、みんなから好かれていました。
そんな子でしたから、周りが悪口を言ったり文句を言ってるときでも、「私はそうは思わないな」と周りに迎合せず、誰も悪者にせず相手を庇ったりしていました。その子に影響されて、私のサークルはとても良い雰囲気だったことを覚えています。
もちろんこれは成功例の1つに過ぎず、その子と同じようなことをしても、場合によっては「あの子は空気が読めない」などと言って仲間はずれにされることだってあるでしょう。
しかし、自分が「絶対に悪口や足の引っ張り合いなどに迎合したくない」と思うのであれば、それを貫くことだって出来ますし、レナさんと似たような考え方の人とだけ付き合っていくということも可能です。
もしくは、その素敵な人間性で周りを巻き込めれば、レナさんの過ごしやすい人間関係を作ることだってできるかもしれません。
また、このハスノハで回答されている御僧侶方は、「人を陥れよう」「人の気持ちを考えずに傷つける」なんてことはされてないでしょう。私も含めて「どうやったら人を救えるか?」その一念で活動しているのです。
別に自画自賛しているわけではなく、人間がみんなレナさんのおっしゃるような「汚い人間ではない」ということを分かっていただきたいだけです。
そんなことも考慮して、ご自身がどう生きたいか、どんな人と付き合っていきたいか、といったことを考えてみてください。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
質問者からのお礼
回答していただきありがとうございます。
「嫌な人ばかりではない」と頭ではわかっていても信じられずに、自分から嫌な人を呼び込むような言動をしてしまっていたのかな、と拝読して思いました。
会ったこともない人の悩みに真摯に向き合ってくださるお坊さんや、周りを巻き込めるほど強くて心優しい女性もいらっしゃる。
自分もそう生きたいですし、そういう人に一緒にいたいと思ってもらえる人間になりたいです。
すぐに変わるというのは難しいですが、少しずつ変えていけたらと思えました。
ご回答ありがとうございました。