そのままで良いのでしょうか
世の中にはできるだけ関わりたくない人がいます。
悪口を言ってくる人、嫌がらせをしてくる人、話が噛み合わない人、不器用すぎる人、不潔すぎる人、など。
注意をして解決するなら良いですが、注意しても無視する、または注意を聞いて全く解決できない人もいます。
そのような問題のある人の周りからは、人が離れて行くでしょう。
では、人が離れた後、問題のある彼らはどうなるか。
人が離れたことを自覚して、他者に相談するなりして、自らを矯正するのが一番理想的です。
ですが、問題を自覚しても解決できない、またはそもそもの問題を認知できていない場合もあります。このような場合、一人で解決するのは非常に難しいです。ですが、周りには人がいません。
表面的なところを解決するのは非常に簡単です。しかし、長年積み重なって来た癖や、認知の歪みの根幹のところから矯正しないと、また問題が浮上します。
根幹を矯正するのは一人では非常に困難ですし、時間も金もかかります。解決するまで、長い時間付き合ってくれる人は、金を払わない限りいないでしょう。
無理矢理矯正するため殴ったりできればとても楽でしょうが、人間は人権や法律で守られているのでそんなことはできません。
問題のある人に、優しく人間らしい対応を、積極的にしたいと思う人は少ないです。そんなこちらを犠牲にするようなことをするぐらいなら、関わらないほうがマシです。
では、何もできない、何もされないまま、延々と問題を引きずり生きていく彼らを放おって置くことが正解なのでしょうか。
上から目線でお節介なことを言ってるのはわかります。私ごときが気にする問題ではないし、私が何かできるわけでないのですが、何がが腑に落ちません。
汚いものを見えないように上から蓋をするのは、なんだか短絡的に感じてしまい、モヤモヤするのです。
回答者様方は、どのように考えますか?
分かりづらい文章だったらすみません。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思い通りにならない人生だからこその仏教
わたへさんご自身を何とかしようじゃなくて
他者を変えなきゃいけないと思うのですか?
他者を支配したり
コントロールしたいの?
「悪口を言ってくる人、嫌がらせをしてくる人、話が噛み合わない人、不器用すぎる人、不潔すぎる人、など。」
彼らは好きで不潔にしていたり不器用なのではなくて、せつない背景や事情があるのではないかと思われます。
本人だけの努力ではどうしようもない事情が、先祖何代も前から続いていたり苦しんでいたり…。
もし助けてあげたい、救ってあげたいと思うならメサイアコンプレックスかも知れませんし…。
目障りなものを一掃してわたへさんの心地よい世界が理想と言うならちょっと極端だなぁとも思いました。
もしかしたら、わたへさんは強い責任感や使命感、正義感からそう言われたのかもしれませんが、読まれた方によっては重く感じてしまうし、逆に対象の方々への理解を阻害してしまう可能性もあると思います。
大切なのは、
「まずは自分自身のことから」
そして目の前の出来ることから一つずつ、丁寧にやっていくことではないでしょうか。完璧を求めすぎず、焦らず、自分のペースで。
もし、わたへさんがそのモヤモヤのせいで生き辛さなどがあったら引き続きご相談くださいね!
「臭いものに蓋」は自分がされていると無意識に感じているのかも知れないから。
hasunohaはたくさんのお坊さんがいますからまた質問してくださいね!
お待ちしています。
質問者からのお礼
なるほど…確かにメサイアコンプレックスだったかもしれません。
少し、危険思想に陥っていたみたいです
回答してくださり、ありがとうございました!