残酷な世の中がいやだし怖い
まだうつ病になる前は世の中の嫌な部分はそこまで見えていなかったし、見えていても、気にしていませんでした。
でも今は人間の邪悪な部分とか世の中の残酷な現実がみえて、とてもつらいです。
例えば動物虐待、差別、いじめ、戦争などなどです。一つ一つ蓋を開けてしっかり見てみるとえげつなくて、1日寝込んでしまったりします。
でも、テレビで嫌なニュースは流れるし、ネットでもたくさん目にします。
こんな世界で生きていかなきゃいけない絶望でいっぱいで、本当にまいっています。
私がどうしたところで世界は変わらないので、自分の考え方をうまく持っていくしかないと思います。
アバウトですが何かアドバイスいただけないでしょうか…?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一面的から多面的に
こんにちは。
私の卑近な例ですが、趣味のサックスの話です。
この趣味を始めてから、音に色がある、音色があるということに気が付かせてもらいました。温かい、暗い、激しい、弱々しい、穏やかな、透き通るような、荒々しい・・・、曲ごとに、一音ごとに様々な色合いがある、と。
それは、端的に言ってしまうと、ド(例えばですが)という一つの音に過ぎないです。でも、ドは膨大な色が含まれたドです。
これを、ドは暗い音しかないね、と言ってしまうとどうでしょう。
少なくともそれは非常に一面的とならないでしょうか。
「こんな世界で生きていかなきゃいけない絶望」もあるでしょう。
「こんな世界で生きて」いける希望もあるはずです。
「人間の邪悪な部分」が見えることもあるでしょう。
「人間の」善なる部分に心が暖かくなることもあるはずです。
「世の中の残酷な現実」もあるでしょう。
「世の中」に誠実さ、思いやりを見出す「現実」もあるでしょう。
また、「テレビ」のチャンネルは変えられるし、「ネット」はクリックすれば入ってくる情報は変えられます。
「世の中」も、「人間」も、無限と言っていいほどの音色を持っています。
その現実を多面的に注目していくこと、これが私からのアドバイスです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
たしかに残酷な一面もある一方で、人の温かさを感じることもあります。
世の中嫌なことも多いですが、これからは暗いことよりも人の思いやりや、素敵なことに目を向けてみようと思います。
ありがとうございました!