動物のご遺体。気持ちの切り替えについて
いつもあたたかいご回答の数々を拝読させていただいております。
今朝、通勤途中の車で、交通量の多い道路を走行中に、既に轢かれてお亡くなりになっている動物(多分猫さん)のご遺体を誤って踏んでしまいました。
車社会の上に田舎なので色々な動物が道路に横たわっているのをちょくちょく見ますし、いつもであればタイヤの間を通すとか、何とか避けるように努めています。
でも今日に限っては亡くなっている場所や対向車の存在や通勤途中の車の流れもあり、車を止めることも行政への報告もできずに、踏む直前に気が付いてビックリして「ごめんね!!?」と叫んだまま、そのまま出勤してしまいました。
ハスノハさんに投稿をしている身ですが、私自身はそれほどスピリチュアルな世界観?というものを本気にしてしまう性分ではなく、都合のいいことを言われれば信じるし、都合の悪いことを言われればなかったことにしてしまう性格です。
今回のことも、動物さんには悪いですが、「そんなところで亡くなってしまっているから、後続車が避けてしまったほうが危ないし、そもそも私が轢いて殺してしまったわけじゃない」という風に思ってしまい、そこまで自責の念にやられているわけではないです。
ただ、タイヤに塩を撒いてみても、なんとなく気が晴れません。轢いた人が悪いといえば、飛び出してきた側はきっと車に恐怖を抱く文化がないでしょうし、飛び出してきた側が悪いといえば人間様なんだから何とか止まれなかったのかといえなくもないし、というか私も避ければよかったわけで、誰もが悪い=誰も悪くないので、逆に誰のせいにもできないというか……。
あまり気持ちを引きずるのも良くないと思いますし、なんとか気持ちを切り替える方法を探しています。
これから車に乗り続ける年月はもっとずっと長いと思うので、同じようなことはきっと起こりうると思います。今のうちに、こういう時の気持ちの切り替えができる智慧を授けていただけませんでしょうか。
創作活動もしています。普段はOLです。 何をもって普通なのかちっともわかってないのですが、とりあえず普通でありたいと思っています。 母と二人暮らし。親友と呼べる友達もいて、嫌なことも辛いことも嫌いな人も沢山あるけど、毎日それなりに楽しいと思って生きています。 4年くらい前に仕事が原因で自殺未遂を図りました。色々な人に迷惑をかけて、自分も体が痛くて、自殺して良かったことなんて一つもないのを痛感して、今に至ります。
自分の普通を押し付けてしまう 常に他人より幸せと思いたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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慈悲の心でお題目を唱えてあげて下さい
質問読ませていただきました。
さて、根本的なお話をさせていただきますが、生き物の命というのは等しく尊いものです。犬や猫の命を奪うのと、虫の命を奪うのは仏教的には差異はありません。
また、亡くなった者に対して、成仏して下さいという気持ちを持つことも大切な事です。それは、色んな生き物を慈しむという慈悲の心に繋がりますから。
その上で質問に返答させていただきます。
車であっても、歩いていても、もし生き物を踏みつぶしてしまえば命を奪うことになります。そんなときは、「ごめんなさい、成仏して下さいね」という気持ちを込めて「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」と一言唱えてみて下さい。このお題目は、お経の中で一番ありがたいとされる「法華経」の要素を抽出したものです。心を込めて唱えることで、必ず成仏することでしょう。
そして、あーちゃんさん自身の心も楽にしてくれると思いますよ。
また、自分が命を奪ってなくても、「可哀想に・・成仏して下さいね」という気持ちでお題目を唱えてあげてください。その慈悲の心が「気持ちの切り替え」にもつながってくるでしょう。
なお、「困ったときの神頼み」というように、都合のいいときに神仏に祈る人が少なくありません。何も、あーちゃんさんだけじゃないんですよ。
しかし、先ほど申し上げたように慈悲の心を持ってお題目を唱えてあげる、そういう些細な縁がきっかけで、何かの拍子に深く考える場合があるかもしれません。今はそれでいいと思いますよ。
何か少しでも参考にして下さい。
不安でも追加の相談でも何でも良いので、必要ならばプロフィールを参照いただき、メールやZOOMの個別相談をご利用くださいね。
質問者からのお礼
藤川 誠海 様
すぐに返信をいただいていたのに、仕事を言い訳にお礼が遅くなってしまいすみません。当日中に拝読させていただいておりました。
このたびは、優しいご回答ありがとうございました。
いただいた回答を、翌朝の通勤の道で、南無妙法蓮華経とさっそく試してみました。行政の方が対応してくださったのかその猫さんは既にいなかったものの、バイパス道路でしたのでシミのようになってくっきりと残っており、ここだというところはなんとなくわかりました。
唱えた後からは、「ちゃんとやったぞ」という納得したような感覚があり、なんだか気持ちがすっきりして、通常通り出勤しております。
ここに書き込んで、回答をいただくまで自分の中で何が引っ掛かっていたのか色々と考えていたのですが、結局出たのは「イエネコなら外に出さないでやればいいのに、可哀そうだなぁ」という気持ちと、「(やっぱり私が殺したわけじゃないというのは常にありましたが)どうせ迷信だけれど、可哀そうと思うことで化けて出ないでくれよ」という二択でした。
いずれも、「可哀そうに、ごめんよ、せめて成仏しておくれ」という気持ちはあってのことだったので、今回藤川様からいただいた「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」は私自身に効果てきめんでした。まず、可哀そうだと思ってもいいことがありがたかったです。
どんな状況だろうが、目撃しても無感情でいるほうが難しいなとは常々思っていましたので…。なんというか、『「可哀そう」と思ったら憑りつかれる』という誰が言い出したのかわからない話が一番のモヤモヤだったと思います。
こんな感じで都合のいい時だけ神仏に祈ってしまうことを、今はそれでいいと仰っていただけて嬉しかったです。私自身、これといって自分に害があるわけでもないのに、目に見えないものの何が嫌で、何故お坊さんに相談したかったのかこんなに考える機会になるとは思いませんでした。
あらためまして、今回は本当にありがとうございました。