不幸な事件などに過敏に反応してしまいます
今月子どもが産まれ、実家族・義家族・主人に温かく迎えられ、大変ですが幸せな日々を過ごしています。
ただ、最近テレビやネットのニュースを見て、学校での殺人行為や高齢運転の事故死など自分では防ぎきれない事故に過剰に反応してしまいます。
今は里帰りをしているのですが、「自宅に住んでいる主人が今日事故にあったらどうしよう」とか「買い物に出ている母が突然他人に刺されたらどうしよう」とか、時間があると考えてしまいます。
この考えと向き合うにはどうしたら良いのでしょうか。向き合った方が良いのでしょうか。
人間いつかは死ぬものだと思いつつ、当たり前ですが、他者から殺されるのは本当に避けたいです。
これからの人生まだ長いのに、こんなことを考えて、起こってもいない未来に恐怖を感じているのに少し疲れました。
どう気持ちの整理をつけたら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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恐れは味方、いざというときの
まずは何よりもお子様のご誕生、おめでとうございます。
こなたさんの相談文を読ませていただきました。
色々なニュースを見て過敏に反応してしまうとの事。お子様が生まれたことで無意識に心が過敏になっている事があるのかもしれませんね。
私には現在2人の娘がいるのですが、昔、最初の子が生まれた時は、こなたさんのように私の妻も過敏になっていました。
…などと今では冷静に振り返ってますが、その当時は私の方もそれに気づかないまま妻に同調したり反発することもありました。
しかし、不思議なことに2人目の子が生まれた時は、この過敏さはお互いに全くありませんでした。そうすると今度は、あの時あったはずの過敏さが無さ過ぎて「これでいいのかしら?」とお互いに心配になりました。
これらは、今こなたさんが過敏になっている部分とは少し違いますよね。しかし、今の時期に《過敏になる》というのは、親としての自覚や責任感から出てくる気持ちという意味では一緒ではないかなと思うのです。
それを踏まえた上で、こなたさんが過敏な気持ちとどう向き合うかですが、「心配し過ぎ」「気にするな」と無理に消す必要はないと思います。(消すことが出来るなら、そもそもここで相談しませんよね)
実は私、心配症なところがあって、いつもネガティブな事を考えてしまいます。
電話がかかってくると、出る前から勝手に色々な事(事故や自分の過失)を想像して今でも緊張してしまいます。
そんな時、私は「いざというときの心の準備をしてくれているんだね。心配してくれてありがとう」と自分自身に向かって心の中でつぶやくようにしています。
大切なのは、恐れや不安は、私の《敵》ではなく私を成長させてくれる《味方》だと思うことです。
恐れや不安、身体の緊張は、私を追い詰める《敵》ではなく、いざというときの心の準備をしてくれているのです。低いところから落ちるより、高いところからの方が痛いのを心はよく知っていますから。
そうしてみれば、お子様の生まれた幸せに水を差すような感情だと否定するのではなく、「一寸先は闇」な人生だからこそ今の幸せを当たり前だと思わずにいさせてくれる大切な気持ちと向き合うこともできるのではないでしょうか。
恐怖心を消す以外にも、そのような向き合い方もあるという紹介をさせていただきました。ご参考までに。
質問者からのお礼
伊藤さん
ありがとうございます。
不安な気持ちを、自分の味方ととらえるという考えは素敵だなと思いました。
心の準備をしつつ、今は幸せと向き合います!