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母との残された時間

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有り難し有り難し 48

母が癌です。

今はまだ元気にとまではいかないものの普通に生活できています。
この元気な間にしておけることはないか?と思いながらも日々が過ぎていきます。
その残された普通に生活できているこの時間を無駄にしているようで何も出来ない上に奇跡を信じきる事も出来ていない自分が情けなく、どうしたらいいのか悩んでいます。
だんだん体の自由が利かなくなる前に何ができるでしょう?何をしておけば母が喜んでくれたり、安心してくれたりできるでしょう?

よく普通が一番、しっかり話をしたらいいとは聞きますが、それだけでは後悔しそうで。。。
それに普通に歩けている今、してあげられることはないのか?あれば教えていただきたい。

母に何をして欲しいかを聞きたくても、まだ諦めていない母にそんな話しは出来ないし、私も奇跡を信じていると言いながらも信じきれずにこうして不安からなのか何かしておかなくては!と思ってしまっています。

何かしてあげられる事やしておいたらいい事はないでしょうか?

後、だんだん最近は歩いていても途中で休むことも多くなってきており、そろそろなのかと不安だらけです。受け止める覚悟というかしっかり母を支えてあげたいので強くなりたいのですが、恥ずかしながら母に頼ってきた人生だったのでなかなか難しいです。
強くなれるアドバイスや言葉もいただけると有り難いです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

母はいつも母

強くありたいという思いと、やり切れないお気持ちを
よくぞお聞かせいただきました。ご心中をお察しいたします。

お釈迦さまが説かれた私たちの生きる苦しみの根源、「老病死」とは、
そこに身を置くものの尊厳が損なわれていく苦しみでもあります。

老いれば、自ずと気力・体力は失われ、若き頃の充実を得ることは難しくなります。
病をうれば、痛みに苦しむ不自由な自己の心身を恨み、他の心配りさえ、憐れみやはずかしめとして受けてしまいがちです。
死は、まさにその人の存在そのものが無に帰してしまわないか、これまでの人生の価値すら疑う心持ちに苛まれるものです。

しかし、どんな状況に身を置こうとも、人は人としてありたいと願い、
貴方にとっての母は、母として貴方との時間を過ごしたいと願っているのではないでしょうか。

病に少しづつおかされてゆく体を抱えながらも、支えたいと願っているのは、お母さんの方なのかもしれません。自らの病に我が子が心をいためていないか、介護に無理をしていないか、自分の人生を私の病のために犠牲にしていないか、、、

子を思う母は、老いても病をえても、たとえ死が訪れようとも、いつも母としての尊厳を失いたくないものです。

いま貴方がお母さんにしてあげられることのひとつは、母に頼ってみることかもしれません。たとえ、母の不安を受け止めきれないことを打ち明けたとしても、お母さんは貴方の素直なお気持ちを受け入れて下さるはずです。

弱気を見せず、明るく強くあるばかりが仏教の目指される姿ではありません。クヨクヨしても、落ち込んでもいいんです。大切なのは、母と貴方、いのちといのちが一緒に悩んだり、迷ったり、しんどい気持ちを分かち合っていく「共苦」のこころがけにあると思います。

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おきもち

北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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あるがまま自然に接しられたらいかがてますか?

ご心配ですね。治って欲しい。長生きして欲しいというお気持ち、痛いほどわかります。うちも高齢の両親がいます。温泉など連れて行ってあげたいと思いますが、健康状態が許さず、近隣の神社仏閣めぐりにドライブがてらがいいところです。あとは病院通いですかね。
何かしてあげたいとのお気持ち、本当に尊いと思います。よくわかりますよ。難しいですよね。状況を言っていいものかどうか。正直に言うべきかどうか、非常に悩むところです。
私なんかは一応、坊主の端くれですから、魂は不滅で生まれ変わり死に変わると、頭では分かっていますよ。でも怖いですよ。寂しいですよ。そういう宣告は。
あくまでも私ならですが、聞きたくないですね。かりに助からないにしても、日常を淡々と生きていければいいと思います。なぜかと言えば、日々の生活こそが人生なんです。そこに幸せがあるかです。一時の幸せ、どこかへ行くとかね。思い出作りもいいでしょうが、まだ可能性があるのなら、その可能性を信じていけばいいのではないかと思うのですが、いかがですか?お母様のご気性がわかりませんのでね、何とも言えませんが、普通に自然に、気持ちとしては絶対に良くなるんだ。治るんだ、治って欲しいと信じていくのがよろしいのではないかと。私なら助からないということが確定しての最後の思い出ならともかく、まだ元気なら普通に接して欲しいと、もがきますよ。死にたくはないですから。
お母様の回復と皆様のご多幸を祈っています。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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無理せずできるだけのことを

私も先行きわからない母を介護してます。父は癌で亡くしました。言えることは、今できることをするだけです。無理をしても負担になるだけです。
日を経るにしたがって弱るのは目に見えてますから、今できることをすることで、後に悔いを残さないということでしょうか。
今しかない満開の桜を見せてあげに、近くの河原や寺社に赴く。それが最後の思い出になるかもしれません。写真を撮っておきましょう。
母の好きなものを食べに行きましょう。たとえ高くても。もちろん手作りの料理をありがたがってくれるなら、腕を振るいましょう。
誤診で長生きしてくれればしめたもの。そうでなくてもいい思い出を作っておけば、いざというとき安らかに成仏してくれることと思います。そしてあなた自身が悔いのない送り方ができると思います。
ご自身の宗旨はわかりませんが、お母様が自然に手を合わせ、南無大師遍照金剛・南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経・南無釈迦牟尼仏等々の念仏(宝号・題目等)ができるようなら、ありがたいことです。仏さまに手を合わせ、これからの日々を送る幸せをできるだけ長く過ごされることを祈念しております。

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おきもち

高野山真言宗権少僧正。高野山本山布教師心得。高野山大学密教文化研究所研究員...
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癌は糖質を栄養として育つ

まず癌の活動を止めることが先決です。癌は糖質を栄養として育つので糖質制限食に変えることです。米、小麦、マーガリン、果物、小豆、かぼちゃ、人参などの高糖質を完全に絶ち、肉、魚、葉野菜、チーズ、バター、マヨネーズなどの低糖質を摂るようにします。
カロリーとは燃やしたときの熱量です。食べたものが体内で燃えることなどありません。健康とは何の関係もないカロリーに騙されてはいけません。
権威医学はこれに反対していますが一部の医師(江部、宗田先生は最近著名です)は推奨しています。
なぜ反対するのか。健康になれば薬が売れない、医療報酬が入らないからです。

次にしたいのは、声を出すことです。又聞きの情報ですが、ある科学者が南無妙法蓮華経の音波が一番健康に良いという実験結果を得たと言ったそうです。
その信憑性は?ですが、前向きな言葉を声に出すことは悪いことではなさそうです。

法華経如来寿量品に
《毒病皆癒(どくびょうかいゆ)》の金言を拝することができます。
南無妙法蓮華経を自ら唱えると毒病がことごとく癒されると。
人間は糖質の摂り過ぎで病気になると言われています。多すぎる糖質は私たちの体にとってまさに毒なのです。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
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質問者からのお礼

回答を頂きありがとうございました。

母はいつも母 。。。私の思いを理解し受け止めてくださり、「よくぞお聞かせいただきました」という言葉に詰まっていた気持ちがとけたようで涙が止まりませんでした。
まさに母は自分の病気のせいで私の生活を犠牲にだけはしないで欲しいという母です。病気の自分よりも私の事を気使うばかりです。母は母なのですよね。。。
そんな私も子を持つ母、母の立場での気持ちはわかっていて同じはずなのに気が付いてなかったように思います。
「共苦」強くなくていい、落ち込んでもいい、いのちといのちが一緒に悩んだり、迷ったり、しんどい気持ちを分かち合う。。。気持ちが楽になりました。私も娘とそんな関係でありたいし、そんな風に思っていてもらいたいと思いました。気が付けたことと暖かいお言葉に感謝です本当にありがとうございました。

無理せずできるだけのことを。。。そうですよね。考えてばかりよりもできることをしてあげる事が先ですね。早速満開の桜を一緒に見に行きます!!私も子供に自分が残してやれるものって「思い出」なんですよね。。。まだまだ私も母との思いで増やしていこうと思います。ありがとうございます。

あるがまま自然に接して。。。お坊さんでも寂しく思うと聞くと当たり前の事なのに私だけではなかったと気づかされみんな同じと気持ちが落ち着けました。このまま可能な限り気持ちも信じる気持ちをしっかり持ち普通に接していこうと思います。日々に幸せがある本当ですよね。ありがとうございました。

治療をやめたので食事にはかなり気を付けています。前向きな言葉を出すように心がけたいと思います。
食事のアドバイスありがとうございます。

私は友達もおらず、母に日々の事からすべて話してきました。そんな母が癌になり不安の中、こんなにも私に暖かい救いのお言葉をくださり救われた思いです。本当に感謝です。ありがとうございました。

「大切な人が危篤・余命宣告」問答一覧

生きている意味がわからない

夫を亡くして4年です。 長い闘病期間でしたが、話すことも出来なくなった夫に対して、私は側にいる事しか出来ませんでした。 当時、コロナで病院の面会は禁止となり、側にいることすら出来なくなりました。 1人で病室にいた夫がどんな思いで過ごしていたのか、どこが痛くて、どうして欲しいのか、それすらも聞く事が出来ないまま、最期は私の目の前で息を引き取りました。 なぜ、夫だったのか?と今でも思います。 私の家族の誰かから亡くなる人を選ばないといけないなら、私だったら良かったのに…今でも思います。 夫が亡くなった時は学生だった子供も、今では新しい家庭を作りました。 夫が亡くなり、もし私に何かあったら子供が1人になってしまうと必死に生きて来ましたが、その子供が新しい家族を持った今、私はもう全ての役目を終わらせてもいいのでは?と思っています。 自分の人生を自分で終わらせようとは思っていませんが、生きる意味も意欲も全くありません。 人前では平気な顔をしていますが、仲良く過ごす夫婦を見たり、ご主人の悪口を言える幸せに気づいていない奥さん方の話がどんどん私の心を黒く暗くしていきます。 夫が亡くなる直前に実母、夫が亡くなった直後に実父と次々に心から信頼できる家族を失ったことも私が誰にも本当の心を開かなくなった理由かもしれません。 ふと私はこれからずっと1人なんだと気づいた瞬間から絶望しかありません。 もう限界かな、と思っています。

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娘の結婚と義母の死去

お読みいただきましてありがとうございます。 私には何度かの流産を乗り越え授かった娘がおります。 小学生の時からパニック発作を抱えていて、断薬の中妊娠・子育てに入り24年。 このたび娘から好きになった彼と結婚が決まりました。 24年間パニックを堪えながらも次第に症状も消え、(娘の前では発作を起こした姿を見せないようにしてきました)旅行もできるほどになりましたが、 先月義母が急逝。今までは身内の葬儀もお骨を拾うことが出来ず休ませてもらっていましたが、今回はお世話になった義母のため最後まで立ち会いました。 葬儀後は、悲しみやパニックにならないよう娘の結婚準備に専念していましたが 持病的なものの再発をきっかけにどんどん体調が悪くなり、強張る体・胃の不快感・不眠症と、パニックも再発しそうな気配です。 仲良しすぎる娘がお嫁に言ってしまう寂しさを言葉に出せず、ずっと秘めていて 苦しくてたまりません。いい母親ぶってせっせと引っ越しを手伝っていますが 娘がいないところでは体調不良で起き上がれない時もあります。 娘の母親ならどなたも体験することかと思いますが、特にパニックを起こさないような心構えがありましたらご教授下さると幸いです。

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離別の苦しみに向き合うには

こんにちは。 初めて質問させていただきます。   以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。   いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。   ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。   自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。

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ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。

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大切な人との別れ

私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。

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母の余命宣告を受けて前に進めません。

1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。

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