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過去の罪への向き合い方。

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有り難し有り難し 9

以前小学生の時1歳上の従姉妹と何度か性行為をしてしまった事をここで相談した者です。
最近になって従姉妹の近況を知りまた悩み始めました。従姉妹は結婚しているのですが、どうやら性風俗(デリヘル)等に勤めていたという話を姉との会話から知りました。私はそれを知り、小学生の時に自分の性欲のために従姉妹と性行為をしたからこそ、従姉妹がトラウマになりそういう道に走ってしまったのではないかと悩み苦しみ始めました。従姉妹は結婚しており、私は未だに謝罪は出来ておりません。謝罪で済むようなことではないと思ってますが、どうしても自分の過去の従姉妹への行為が関連してるのではと考えすぎることが多くなっています。母やとある親しい先輩みたいな人に昔の私の従姉妹への卑劣な行為をしてしまったことはすでに告白してますが、気持ちはどうしても晴れません。従姉妹から過去の行為について何か言われたことは一度もありません。従姉妹の旦那様がうつ状態だというお話や従姉妹の実家が経済的に余裕がないというお話もあり、お金が必要だからこそそういうお仕事に就いていたと考えるのも自然ですが、私はどうしても自分の過去の行為が関連したのではと考えております。考えすぎだと思う方もいると思います。しかしやはり自分は幸せになるべきではなく、生きていることも罪なのでしょうか?
そして従姉妹がそのような道に走ったのも私の性行為も関わってるからこそなんでしょうか?ご教示お願いいたします。

2021年12月9日 17:13

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そうかも知れません

 こんばんは。あなたの推測の通り、そういった過去が影を落としている、可能性は否定できません。しかし、それが無かったら性風俗で働くこともなかった、かも分かりません。
  仏教では、物事は縁によって起こるとします。私たちは本当にたくさんの関係や状況の中で生きており、何か一つが決定的な幸不幸に直結しているとは考えません。ただひたすら「可能性は否定できない」がどこまでも続いているのです。
 さて、あなたは「自分が幸せになるべきではない」とお考えのようですが、では過去のその一件以外は他人に迷惑をかけたことはありませんか?そんなことはないでしょう。ただ私は「あなたは幸せになるべきではない」と言いたいのではなく、「幸せとは何だろうか?」を考え直してほしいのです。
 思い返せば私たちは、数えきれないほどの迷惑を人にかけて、背負ってもらって生きているのです。であれば、せめて何か思いつく善行があれば、それをやろうじゃありませんか。その方が現在お金に困っているなら送金する、旦那さんのことで相談相手が欲しいなら傾聴する、何かをすれば全てスッキリ幸せになるとは思わず、「一つ良いことができた。一つ人を喜ばせることができた」と自分を認められることがあれば…それが幸せなのかも知れません。

2021年12月10日 22:09
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