苦しみと生きる方法【凡夫のライフハック】
以下①~⑧について、ぜひ忌憚の無いご意見をお聞かせ願います。
最近辛いことが多く、自分なりに試行錯誤し、実践している次第です…。
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■苦しみと生きる方法【凡夫のライフハック】(仮)
①自分自身や周囲への「期待値を下げる」
⇒そもそも人生なんて、うまくいかない、辛くて当たり前、と考える
⇒「一切皆苦」であることを思い出す
②苦しい感情を、自分の中に溜め込まず、「吐き出す」
⇒具体的には、紙に書き出したり、レコーダーに録音したりする
⇒足りないなら、友人やカウンセラー等に、話を聞いてもらったりする
③ただ感情を「観察」し、あるがままに「受け入れる」
⇒上記の方法や、瞑想を通じて、今の状況や感情を「観察」する
⇒このとき、善悪の評価をせず、自分自身の感情をただ「受け入れる」
④苦しみを産み出す「問題」について、思い悩むことを一時保留にする
⇒際限なく思い煩わないために、最悪でも、時間を区切って悩む
⑤「問題」とは直接関係の無い、仕事や作業、趣味に没頭する
⇒部屋掃除など、無心で手を動かせるものも◎
⇒あるいは、何も考えずぼーっとするだけ、でもOK
⑥自分の身体を大切にする・いたわる
⇒食事、睡眠、運動、入浴などを軽視しない
⇒規則正しい生活リズムは堅持する
⑦「問題」に、少しずつ向き合う
⇒理想の実現に向けた努力や、現実を明らかに見る努力をはじめる
⇒最悪、「諦めきれぬ事があるなら、諦めきれぬと諦める」
⇒苦しくて日常生活に支障が出るなら、上記②や④に戻る
⑧時間の経過を、待つ。
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以上です。
質問の背景です。
物事への執着が苦の根本原因であり、修行を経ても執着は消えないならば、執着・苦とうまく付き合う「具体的な方法」を模索したいと思った次第です。
そのことが、自分自身を護ることに繋がるかと。
結果、オマケとして、自分を取り巻く他者にも良い影響が出たら…と。
お手すきの折に、ご意見いただければ幸いです。
そもそも考え方が良くない、この行動はオススメ、etc.
寒い日が続きますので、皆様ご自愛ください。
長文失礼しました…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ベクトルの向き。
どれも大事なことだと思います。
ただ、⑦問題に向き合うについて、
問題ばかり考えているとそれも執着を強めることになるので、問題が消えた先の自身の姿、ありたい姿、ささやかな楽しみなどをイメージすることも心の片隅に置いていただけると、苦の方向のベクトルだけでなく楽の方にベクトルが向くかと、思います。
一切皆苦に向かうベクトルでなく、一切皆苦から向かうベクトル。
行き先は涅槃、浄土、成仏、往生、青空、極楽など宗旨によって様々かと思いますが、ベクトルの向きは苦を手放す方向であることを願います。
お返事ありがとうございます。
お返事いただいて、③についても気になりました。感情の観察はよいのですが、私の感覚だと『盲目的に受け入れる、受け入れなきゃいけない』になると、それはナチュラルではない気がしています。
感情の観察には『受け入れることを拒む心の観察や葛藤』も含まれるべきだと思います。
『受け入れる』より『入ってくる』を観察あるいは見届けるという言葉の方がしっくり来ています。
これは、正解か否かという発想でなく、私なりの人生経験とすり合わせた感想です。
余談ですが、私は生のトマトを食べるのは苦手です。小学生の時に嫌いになりまだ嫌いなままです。
今もピュアな生トマトはNGですが、加熱で水分飛ばしたり、ピザソースやチキンライスのケチャップなど手を加えたものは大丈夫です。
苦に向き合ってるつもりでも結果としてトラウマや傷を深くすることはよくない。
何かでカバーしたり、補うことで耐性をつけたり、触れてもよい濃度に苦の根源の純度を落とす路線もアリかなと思います。
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ありがとうございます。
私が最近使っているものに、定点観測があります。
・今日のコンディションとして、頭の回転、身体の調子、メンタルの3つについて☆何個であるかの確認。
・円グラフの中に今あるエネルギーが100としたら何に何%使っているかを書いて、ホントはどんなバランスで使いたいかも確認する。
あとは、煩悩は消すでなく転じることにより問題でなくなる→執着が離れる。
というプロセス。
辛いときに原因を見つめるでなく、辛くないときに要因を把握。何に支えられて今の状態が保たれているか、などあります。
また改めてお話しさせてください。
結果が良くなくても全力で行った事には後悔は残りません
こんにちは
自分に対する期待値を下げること①で、結果後悔することは、私たちが生きていてよくあることです。hasunohaには、希望の大学に入れず後悔する質問が時々入ります。後悔があるという事は、受験勉強や試験当日に全力を出し切ることができなかったからだと思うのです。全力を出し切って入った大学であれば、たとえ希望の大学ではなくても後悔はないと思います。(スポーツの試合の結果がよくなかったという質問がほとんどないのは、みなさん練習を一生懸命やっての結果であり、後悔がないからだと思うのです。)
「期待値を下げる」のではなく、「どんな事も全力でやる」事が大切だと思います。結果が良くなくても全力で行った事には後悔は残りません。
「苦」とは仏教で「思い通りにならない」という意味です。例えば死ぬことは、思うとおりにならない事です。いつ死ぬのか、死因は何なのか、それは自分の思うとおりにはなりません。そして必ずやってきます。他のことを考えて死について忘れようとするのはただの現実逃れです⑤。(くよくよ考えても無駄なことをストップさせるのは良いことです②④)このようにどうにも思い通りにならない事に対してどのように心に決着をつけるかが仏教ですので、「期待値を下げる」「他のことを考える」ことでは根本的な解決にはならないことは明らかな事でしょう。そこを押さえて、八正道の「正しい」に向き合ってみるとよいでしょう。
どんな事でも一生懸命行う姿は、きっと周囲にも良い影響を与え、協力者が増えることでしょう。「どうせうまくいかないのだから、周囲や自分への期待値を下げよう」などと言っている人には人は集まってきません。「うまくいかないスパイラル」にはまっていくだけです。
質問者からのお礼
泰庵さま
早速、有難うございました。
特に⑦「問題との向き合い方」は、要注意との気付きをいただきました。
苦とうまく付き合う方向性も、見えたように思います。
以下、頂きました回答を踏まえた私の解釈です。
ライフハック更新してみました。認識違いが無いと良いのですが…。
⑦問題との向き合い方
・自然と「問題」のことばかり考えてしまうのなら…。それ自体はOK。
・執着を手放そうとすると、それ自体が新たな執着を産むリスクあり。
・ただ、元の執着が在るのみ。なお、元の執着も諸行無常なのである。
・そうは言っても、ここまでは机上の空論
・苦と共生するため、元の執着を手放し、和らげていくことが望ましい
・そこで、現実的なアドバイスとして、少しずつ「問題」のことに割く時間やエネルギーを減らすよう心掛けるのが、上手に生きるコツである
・たとえば、ささやかな楽しみ等々について、考える時間を意図的に増やしても良いかもしれない
■ここから余談です…
もし、苦と向き合うためにオススメな行動があれば、是非ともご教示いただけますと幸いです。(あれば、で構いません…)
当然のことながら、時にはお坊様をもってしても耐え難い「苦」があると思います。そんなときは、どのような行動をされるのでしょうか。
当然、十人十色の方法があると思います。向き不向きや好みも。
何かを心掛ける、意識する、だけでは耐え忍べないこともあるかと思い、お伺いするものです。
もう良い大人ですから、自分の苦しみと向き合い、だましだまし、うまく付き合う術を、身に着けたいと思った次第です。抱え込み過ぎずに。
■追加のご回答、ありがとうございました。
以下の2点、大変勉強になりました。完全に同意いたします。
1)感情の観察には『受け入れることを拒む心の観察や葛藤』も含まれるべき
2)(意訳)「苦」と直接対峙する以外にも、様々な路線・対応法がある
トマトの例、クスッと笑える、身近な例をありがとうございました。
極論「食べなきゃ済む」トマトから発展させて、以下の例で具体的に考えてみました。
(例)大切な人と死別>会いたい>でも会えない>苦しい…
1)苦と向かい合うアプローチ
上述の①~⑧など。
2)その他のアプローチ(様々な路線)
何かでカバー:(例)大切な人を新たに作る、趣味を作る?etc.
補うことで耐性つける:(例)大切な人の死に、何か意味を見出す?etc.
苦の根源の純度を落とす:(例)死別して悲しむ人同士で慰め合い、遅かれ早かれ死は不可避、特別なことではないと再認識する?etc.
上記のようなことでしょうか。
※念のため申し添えますが、私としては、単なる言葉遊びや、思考実験をしているつもりはありません。
少し乱暴に括ると、仕事も恋愛も人間関係も病気も、苦しみの構図はほとんど同じですよね。
ゆえに、一切皆苦の今世で、一生お付き合いするだろう「苦」との向き合い方を一般化・具体化したいのです。せめて自分自身の中だけでも腹落ちしたい、という執着があります。拠り所が欲しいのです。
苦をハンドルする方法を考えるとき、仏教の考え方はとても有効で、とてもクールで、この世の真理を表現していると思っています。
でも各論にいくと、結局何をしたらよいのか少し漠然としていて、毎回煙に巻かれているような印象があるのです。そこにモヤモヤしています。
例えば八正道なら、正しさとは何か?という哲学に行き着く気がして。
どう考えて、具体的に、何をしたらよいの。。?
(あくまで一例で、批判する意図はありません)
「結局何をしたらよいのか」を考え続け、行動し続け、精一杯生きる営みそのものが仏道であり、修行な気はしているのですが、それでもモヤモヤが止まらず。
勝手にヒートアップし、愚痴っぽくなり申し訳ございません。
ご回答ありがとうございました。。!
光禪さま
ご回答、有難うございました。
ご指摘いただき、新たな気づきを得ることができました。やはり「何事も全力」が基本路線ですね。
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改めて考えてみますが、「何事も全力」と「期待値下げる」は両立できるかもと、ふと思いました。
何事も全力
(例)受験勉強を頑張るぞ。人事を尽くして天命を待つのだ!
期待値を下げる
(例)受験勉強を、時々サボってしまった…。そんな弱い自分を責め過ぎず、許そう。
(例)そもそも、志望校に合格したら、大金星だ。
(例)不合格だった…。サボったことを含めて、その時々でのベストは尽くしたのだ。
うーむ両立できているような、できていないような…。
確かに何事も全力で取り組めば、「後悔=執着=苦」からは逃れられそうです。
いや、本当にそうでしょうか?
例えば、受験勉強や試験当日に全力をつくしても、例えばマークシートの塗る順番が一つずつずれて、不合格になった。
これは、自分なら非常に後悔・執着しそうです…。
高校野球、甲子園の外野フライのエラーのようなものですね。
その意味で、やはり期待値を下げておくことも有用な気がします。
ご指摘の通り、⑤現実逃れ、①期待値を下げるは、苦の根本的な解決にはならないです。
しかし、少なくとも⑤は、根本的な解決を目指す上での1つのステップとして必要かなと思います。
現実逃避の時間は、辛い現実(苦)と対峙するための準備期間でもあるのではと。
「どうせうまくいかないのだから、周囲や自分への期待値を下げよう」というより、「人事を尽くして天命を待ち、万が一うまくいったら儲けものだぜ」というメンタリティでしょうか。
改めまして、コメント頂き、ありがとうございました!