自分のことがわかりません
前職でパニック障害になり、転職をし、別の会社で期限付社員として働いています。
来春には新しい仕事を見つけなければなりません。症状は落ち着いているものの、また再発したりして、就職を失敗したらどうしようと思ってしまっています。
また、自分のやりたいことって何、体力がなくてストレスを感じやすい自分にできる仕事は何…と悶々としています。
不安と向き合い日々生活していますが、いずれ実家を離れ、1人で暮らしていかねばなりません。
どうしても、元気でばりばり働いていた頃の自分を思い出せません。私はもう何もできないのではと不安でたまりません。
甘えた考えなのはわかっています。できることを日々探して、資格の取得や、気持ちのトレーニングも欠かしません。でも、どうしても気持ちがついてこなくて、焦りだけが先走り、最近は体調が悪くなってきてしまっています。
長い人生どう生きていけばよいか、お考えや心構えをご教授いただけますと幸いです。
拙い質問で恐縮ですが、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何事も急ぐ事は、まだやって来ない予測思考が不安を強くしている
拝読させていただきました。
紀元前5世紀、釈迦と同時代を生きたギリシャの西洋哲学の礎を築いた一人であるソクラテスは自分のことを、このように述べています。
『私に分かっていることと言えば、私が何も知らないことだ。』
と、述べています。頭脳明晰であり現在でも哲学を学ぶときにはソクラテスは外すことができない偉人です。そんな方が、自分のことを分からないという。
この言葉には深奥さがあることです。それは、仏教では明らかにしております。
・無我ということです。
私自身があるようで、私なんて無いと説くが仏教です。先祖から繋がる命を引き継いで今わたしたちの命が存在しているからです。その諸々のご縁(食事、環境、人々など)で命が存在し、体内の60%は水分であり、さまざまな元素(酸素、炭素、水素など)100種類以上で体は構成されています。その生きる体内を生かしていくには、数えきれない命を「いただいている」ということです。(水、肉、魚、植物など)
人は人生で経験と体験を積み重ねていきます。その経験と体験をする中に、どのご縁を偶然のようで遭遇する必然の因果により自身が成り立っています。
ついつい、自分は自分と思うこともあるものですが、仏教では自我は無く、諸法無我と説きます。
話は戻りますが
・自分だからできない
・他人はできて自分には向いていない
・自分にはできない、自信がない
これは“過去に起きた経験”が自身の心の中に不安要素を蓄積してしまっているだけであり、過去(諸々)は過ぎ去ったことであるので、まだやっても来ていない未来に、過去の不安を見据えることで、これからの人生に不安という壁が自身を塞ぎ込んでしまっているのです。
大切なのは、過去は過ぎ去り捨てられたと強く想うこと。未来もまだやってこない。『今を生きる気持ち』に重心を置くことで、未来に光が当たりはじめます。
“急いては事を仕損ずる”と ことわざ がありますように、急いではとは今を生きず、焦りから未来を見つめ過ぎであるからこそ、失敗に繋がっていきます。
人生には地に足をしっかりつけて歩いていくこと、この地は心を今に置いて生きるということです。
ただ今です。今を生きるのです。
執着(かたよらない、こだわらない、とわられない)ことを意識する習慣が心を楽に運んでいってくれます。
参考程度にしてください。
合掌
質問者からのお礼
お返事が遅くなり申し訳ありません。
すぐに拝読したのですが、繰り返し読み実践し、よく理解してから返信しようと思ううち時間が経ってしまいました。
あれから現在は離職中ですが、気持ちは安定して暮らせております。人生は長いし、知らない事がたくさんあるとわかり、構えられるようになりました。
お話を聞かせていただき、誠にありがとうございました。