家族にも自分の宗派に関心を持ってほしい…
実家がお西の門徒なのですが、それほど信心深くもなく、お墓参りや先祖供養は全て我流でやってきました。
先日父(83)のガンが見つかりステージ4とのことを聞かされて、離れて住んでいる自分に何ができるかを考え、浄土真宗のことを勉強することにしました。
すると他宗派と違う独特な作法や考え方であることがわかり、今では私がすっかり地元のお西のお寺で法座を聴聞したりしています。
そのことを話すと、あまりいい反応ではなく、あまり宗教にハマるなと言われる始末…。
両親には穏やかな終末を迎えてほしいと思っているので、今からでも信仰心を深めてほしいのですが、全く聞き入れてもらえず悩んでいます。
ちなみに私はミニ仏壇に阿弥陀様をお祀りして毎日朝晩のお勤めをし、月に一回はお寺の法座に出ており、自分の信仰心だけが深まっていき、家族の中でも一人浮いてきてしまっている始末です…。
親鸞聖人の教えはとても深く、有難いものだと思っているのですが、誰にも理解してもらえないことが歯がゆくて仕方がありません…。
無理強いはするつもりはないのですが、最初の目的からどんどん離れてきてしまっている気がして、何のために自分が勉強しているのかわからなくなってきました…。
両親は毎日仏壇に手を合わせたり、年4回お墓参りにも行っていますが、浄土真宗の作法や教えを理解していないのが、残念です。
浄土真宗の教えを理解すれば、普段の生活や考え方が変わり、とても穏やかに過ごせると思うのですが、どうすれば阿弥陀様を意識してもらえるようになるでしょうか?
現代はお寺離れが増加しているといいますが、私は生きている間にこそ、お寺に行って気持ちを穏やかにすることが、生活を豊かに過ごせると思っています。
話がまとまらず申し訳ありませんが、良いアドバイスがあれば宜しくお願い致します。
物への執着がつよい。自己中心的な思考が強く、人から認めてもらいたい願望が強く、否定されたり意見されるととても強い怒りと相手への不信感が生ませる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お念仏の日暮らしが、いつかきっと届く日も来ましょう。
お父さまの終末期を心穏やかに過ごしていただきたい、安心の中で救われていく道があるのだと、一緒に味わいたいと、そのように思われて、お念仏のご縁を深めてこられたのですよね。
きっかけとは不思議なもので、身近に仏縁があっても、我が事といただかなければ身にストンと落ちてこないものですよね。まさに縁起。あなたも、やっと出遇えた喜びだと思います。
知れば知るほど、お聴聞を重ねるほど、お作法にも、仏具にも、大切な意味があるのだと、有難く思えますね。
自分にとって大切な人(家族)と分かち合いたいと望まれるのも、自然なことと思います。
しかし、まだそのご縁を我が事と思えていない人には、ただの「宗教」にしか思えないのでしょうね。
あなたが、誰にも理解してもらえないという「誰にも」は、ご家族のことと思いますが。
あなたには、朋友がいらっしゃいます。私も含め、ともにお念仏の道を歩んで参りましょう。喜びというのは人により違いますが、作法が違えど、お念仏申されるお父さまも、皆 阿弥陀さまの手の中に、お浄土へと参らせてもらえるのです。
安心して、たよっていきましょう。
あなたの生き方が、お念仏の日暮らしが、いつかきっと届く日も来ましょう。
あなたの質問を読ませてもらいながら、私もお念仏が口からこぼれました。
ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
人として当たり前の道が仏道
最近は、宗教という言葉が新興宗教と混同され、怪しげな印象になってしまっているのですよね。悲しいです。
信仰は悪いことではないですがそのことで苦しくなるなら、その信仰の仕方一歩目が間違っているかもしれません。
良いものは、人に勧めたくなるのは自然な気持ちですが、受け入れない人がいても当たり前です。修行は自分でするしかない、家族であっても自分ではないですから。
あなたが信仰を深めると共に幸せそうにしていたら自然と良い影響がでてきます。
良い行いを人のためにしていたら良いのだと思います。人知れず行じ、幸せをお裾分け。
お寺も檀徒に信仰心を持っていただきたいと思っていてもこればかりは本人次第、種まきをしておくしかないと思っています。
質問者からのお礼
早速のご返答有難うございます。
相手のことは変えられない。変えられるのは、自分と未来と聞きます。
家族にもお念仏とのご縁が来ることを願って、まずは私自身にお念仏とのご縁があったことに感謝し、日々お念仏申してまいりたいと思います。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏…🙏