ペットを殺してしまったかもしれない
飼って2年のデグーを殺してしまったかもしれません。デグーはチンチラの仲間でネズミのような見た目をしています。
どうやってデグーへの罪を償えるでしょうか。また罪悪感と共に寂しさに耐えきれません。新しい子を迎えてもよいのでしょうか。
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年末の帰省で一緒に実家に帰るため、
プラスチックのケージとそれを包んでいた毛布にカイロを貼り、それをリュックに入れて寒くないように移動しました。
実家に到着した頃にはデグーの体は熱くなっており亡くなっていました。
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以下3点が自分の間違いでした
1.以前バスの中でケージを開けて脱走しかけてしまったことからケージは開けず窓から確認することに徹底。横になっているのを見て温かくて寝ているのかと勘違いしてしまったこと。普段は移動中寝ることなどないのに。
2.年末の自分勝手な用事で夜遅くの移動になりカイロをたくさん貼ってしまったこと。
3.大晦日の夜に帰省したため、病院がやっておらず先生にみせてあげられなかったこと。日を改めていれば、日中に移動していればと後悔が止まりません。
亡くなったことは動物病院の看護師をしている友人に来てもらい判断してもらいました。
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2年ともにしたデグーは毎晩一緒に寝たり名前を呼べば来たり、自分が朝寝坊したときには起こしてくれるような賢い子でした。寿命も5年から8年と聞いており、2年という短さでそんないい子を自分が、と思うと悔しくて堪りません。
また帰省先で亡くなったことに気づいたため、デグーのいない一人暮らし先に帰ることがとても恐ろしいです。
会社で辛いこともありデグーに励まされてなんとかやっているため1人で帰りたくない気持ちでいっぱいです。
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自己中心的な行動からデグーを亡くしてしまったのにまた新しい子をお迎えするのは先代のデグーに対して失礼なのではないかという気持ちと、
それでも寂しさに耐えきれない自分の弱さで気持ちに折り合いがつきません。
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罪の償い方と新しい子を迎えてもよいのでしょうか、ご教示ください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ペット」という概念は仏教に反する
あたさま
仏教においては、本来、生き物は等しく大切にしていくことが望まれるところとなります。
「ペット」というのは、その生き物たちの中から自分の勝手な都合により特定特別なものとして優劣をつけたり、愛着したりしてしまうため、生き物を平等に大切にするという仏教の本来の考え方とは相反する概念であります。
新しい子を迎えても良いですが、では、その子と、部屋に出てくるゴキブリとを同等に見れるかどうか、同等にその命を大切に見れるかどうか、それが問われてくるところとなります。
自分にとって都合の良い命と都合の悪い命を分けずに命を大切にする心、その心による実践が先代の子への供養になり、また、新しい子の命を大切にしていくことに繋がりましたら有り難くに存じます。
下記拙回答もご参考下さいませ。
問い「生き物殺してしまった」
https://hasunoha.jp/questions/57842
合掌