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生き物殺してしまった

回答数回答 2
有り難し有り難し 29

始めて相談させていただきます。
私は、小学低学年頃だと思います。
猫を殺してしまったんです。
小猫です。自分と遊んでいたときです。人間と猫ましてや小猫、身体の大きさから違うのに自分と同じくらいの人だとでとも思ってたんでしょうか、今でもその時を鮮明に思い出すときがあり、すごくなんていうのかぐちゃぐちゃした感情でいっぱいになって泣きながら後悔します。
他にも、祖母が猫が増えるのを嫌って産まれたばかりの赤ちゃん猫を母と一緒に捨てにいくことが何度もありました。
何もできずに家にいた猫を抱えながら赤ちゃん猫の声を聞きました。呆れることですが半ば諦めもあったと思います。救えなかった、最初に書いた事もですが、生き物を飼う、世話することへの責任を持てていなかったと苦しい気持ちでいっぱいになります。
一ヶ月程前に、家の猫が育児放棄してしまった赤ちゃん猫を頑張って面倒をみることがありました。しかし、小猫はみんな死んでしまい、そのことで自分が悪いと、もう少しちゃんと面倒をみていたら…と何度も泣きました。
そのことを心理的なカウンセラーの方に聞いてもらい、家の仏壇でお参りすることを習慣にするようになり、その時、先の書いたことで「ちゃんと面倒見てあげれなくて、責任をとってあげれなくてごめんね。無事成仏してくれますように、少しだけど一緒に生きてくれてありがとう。」とお参りすると、少しぐちゃぐちゃした辛い気持ちが楽になるように感じます。(こんなこと自己満足にすぎないと思いますが)。
猫ちゃん以外にも、たくさん虫、きちんと飼えなかった金魚などの私が命を奪った生き物たちに許してもらえるとは思いません。
けれど、今ここまで生きてきて大きな怪我、病気などしなかったのはハスノハで他の方への、回答で見た見守っていてくれているという事なんでしょうか。
ただ、罰があるなら私が受けます。と思いながら仏壇でお参りするのは良くないんでしょうか。 

長々すみません。誰にも言えなかった事を吐き出してしまいました。今も泣きながら文字を打ちました。
我儘だとは思いますが、怒られるのはとても怖いです。 
私の相談を見たというだけでも返信いただければそれでも嬉しいです。ありがとうございました。

2021年12月20日 15:11

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追善供養

飴玉さま

この輪廻世界は、殺生を犯すことが避けることのできない世界でもあり、何も殺生せずに過ごすことなど誰もできない世界でもあります・・

たとえ、肉魚は食べずとも、水を飲むだけでも、水の中に棲む微生物を胃酸で殺してしまうことになるのですから・・

また、一歩歩くだけでも、やはりそれなりに踏み潰してしまう虫や微生物もいます・・

もちろん、避けれないからといって何もしなければ、それは悪業を積み続けることになります。(アリを一匹殺しても、人を一人殺しても、その業は仏教では同じです。人間の価値基準では、人を殺せば死刑や無期懲役などの罪に問われることになり、アリを殺しても死刑や無期懲役などの罪には問われませんが、仏教では同等の業となります)

また、避けられないと諦めてしまえば、仏教の不殺生戒もなんのためにあるのかということになってしまいます。

どうしてもやむを得ずに奪ってしまう命があるのは、仕方のないことでありますが、なんとかそれが避けられるのであれば、できるだけ避けてあげる(踏まないように注意をできるだけ払って歩く、必要最低限のタンパク源としてだけ肉魚を頂戴するなど)とともに、どうしても奪ってしまった命があるならば、供養をしてあげることで、その者の善趣へと資せるように追善してあげることが大切なことになります。「いただきます」と食事の前に手を合わせて言うのも、一つの供養と感謝を表すことになります。

また、救える命があるならば、できるだけ救ってあげるようにしていく(水瓶でバタついて、もがいている虫がいたら、そっと掬って助けてあげる、誰かに踏まれそうなところにいる虫をそっと木陰や草むらに逃してあげる、蚊がとまっても叩かずに見逃してあげる、家の中に出たクモやゴキブリをそっとティッシュでくるんで逃してあげるなど)ことであれば、善い行いとして積んでいくことで、それを追善して、殺生してしまった生き物たちのための供養としていくこともできます。

是非、そのようにできるだけ生き物の命を大事にして頂けましたら有り難いと存じます。

合掌

2021年12月20日 15:58
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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罰を安全に受ける方法

南無阿弥陀仏と念仏すれば、来世で極楽浄土に往生できます。
極楽浄土では、あなたも菩薩様(仏様の見習い)になって、素晴らしい環境で仏に成る(成仏する)ための修行をできます。
極楽浄土での寿命は無量なので、成仏するまで死ぬことは無いでしょう。
では、どんな人が早く成仏できるのか?
それは、今までの輪廻転生の過程で善いことをたくさんして、悪いことを減らして、悟りやすい徳を積んで来た人の方が早く成仏できるのです。
あなたも私も、過去にたくさん罪を犯してきました。
だから極楽浄土で、なかなか成仏できない(卒業が遅い)という「罰」を受けると考えてはいかがでしょうか?
ただし、地獄や餓鬼道に堕ちるような最悪な苦しみからは免れ、最高の浄土で阿弥陀仏の弟子になれるので、幸せな極楽学園の生徒です。
安全に罰を受ける方法として、まずは南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えましょう。
また、自分だけでなく猫ちゃん達も極楽浄土に往生できるように願いましょう。

2021年12月21日 12:58
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。 
確かに、私は魚や肉等の食べ物を食べるときに命をいただき、道端を歩くとき生き物を殺してしまっているかもしれません。
できるだけ多くそんな風に命を奪ってしまうことをなくせるよう、虫などの生き物を見逃すこと、助けてあげることなどをしっかりしていきたいです。
命をいただくことには残して捨ててしまうことなどが無いようきちんと食べきること、感謝して食べる、食事前後のあいさつなどをきちんとしたいです。
今も、私は猫を飼っています。その猫ちゃんたちが私達が寿命で死ぬように、寿命を迎える時まで大事にしていきたいと思います。
今回は本当にありがとうございました。

別のお返事もいただいたので、もう一度お礼のコメントを書かせていただきます。

生き物を、命を、大事にできていない事があって、私は幸せになってはいけないのでは?、と考えたことがあります。けれど、南無阿弥陀仏と唱えることできちんと安全に罰を受けること、奪ってしまった命に成仏してくれますようにとお祈りできることが分かり、今度からは仏壇で南無阿弥陀仏と唱えることを習慣にしたいです。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ