あまり言えない様な嫌な過去について
初めまして。
20代になってから、過去の事をよく思い出し考え込んでしまいます。
考えても過去は変わらない事をわかりつつも、どうしても時々思い出して考え込んでしまい前に進めません。それで、こちらのサイトを見つけ質問しようと思いました。
その過去と言うのが、小学生の頃に友人を傷付けてしまった事や、反抗期もあって両親に迷惑をかけた事などです。これらは過ちですが、恥ずかしかった出来事もたくさんあります。思い出す度に嫌になります。申し訳なくなります。
どうすれば前に進み続けられますか。今はもちろん、過ちに関しては反省しております。一応言うと、相手に謝って終わってはいます。自分が悪かったと、当たり前ですが理解もしております。だからこそ、過去の自分が憎いです。
当時は何も考えていなかったのでしょう、大人になってしたい事がたくさんある中、過去に引っ張られて、そんな自分を変えたいのに変える事も出来ておりません。
そもそも、私に楽しんだり幸せになる権利が無いんじゃないかとまで思えて来ます。
どう乗り越え生きて行くべきなのでしょうか。
アルバイトしている22歳です。家族は両親と妹が1人います。過去に色々ありすぎて、大人になった今でも学生の頃の嫌な出来事を思い出して、自分でも嫌だと思う自分を変えたいのに前に進めずにいます。そこで、こちらのサイトを見つけて質問してみようと思いました。
お坊さんからの回答 1件
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頭に浮かんだら「これは妄想雑念だ」
考えても仕方ないような過去や未来に関することが頭に浮かんだら、「これは妄想雑念だ」「思考の堂々巡りは時間の無駄だ」と意識するようにしましょう。
私達の心は、まるで猿が木の枝を飛び回るかのように落ちつかないのが普通です。
だから、妄想雑念が浮かんでくるのは自然現象みたいなものです。
でも、妄想雑念に意識が乗っ取られている時間はあまり有益ではないので、素早く「妄想雑念だ」と気付く方が良いと思います。
なお、浄土宗では「南無阿弥陀仏」と口で念仏を称(とな)えることがメインの修行なんですが、念仏の最中に妄想雑念が浮かんでも、妄想雑念が浮かんだままで「南無阿弥陀仏」と言えばOKだとされています。
悟っていない私達にとって、妄想雑念は目や鼻と同じようにくっついているのが当たり前なのであり、仏様は、ついつい妄想雑念に浸ってしまう私達をありのままに慈しんでくださいます。
欲望や怒り・恨み・後悔・嫉妬の波に意識がザブーンと飲み込まれても、南無阿弥陀仏と唱えるたびに、心は極楽浄土に真っ直ぐ向かう白い道の上に戻れます。
妄想雑念・念仏・妄想雑念・念仏の繰り返しで、煩悩の波に飲まれてもその都度白道(びゃくどう)を頼りにすれば、溺れずにやがて極楽浄土(仏様の世界)にたどり着けます。
質問者からのお礼
回答、有り難く頂戴しました。確かに考えてる時間は何も出来ておりません。自然現象ですか。そう捉えたら、当たり前の事だと、少しは難しく考えすぎていたのが、楽になりました。ありがとうございました。