即身仏は仏像として捉えられているのか?
即身仏はお寺で祀られておりますが、祀られているということは仏像扱いなのでしょうか?もし仏像扱いなのであれば、日本にある即身仏は、如来・菩薩・明王・天の中で何に当てはまりますか?理由と共に教えて頂きたいです。またもし即身仏が仏像扱いでないのであれば、それはなぜでしょうか?
数年前から即身仏に興味を持ち、そこから仏教に興味が湧くようになり、自分でも色々調べてはおりますが、一人で知るにはとても難しいので、ぜひ教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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即身仏(ミイラ仏)について
らいおん丸さま
即身仏(ミイラ仏)が、イコールで仏・如来と言えるわけではなく、あくまでも修行の一成果、その象徴と捉えることができるのではないだろうかと存じます。
もしあえてとなりましたら、「菩薩」の分類となりますでしょうか。
ここからは無上瑜伽タントラの話となりますが、私たち輪廻にある衆生の身体は、有漏の身体、つまり、汚れた意識によって生じている汚れた身体であり、この身体では実のところ成仏は不可能であります。
仏の身体である、仏の三身(法身・報身・応身)は、いずれも、清らかな意識、つまり、無漏の意識により生じる清らかな身体となるため、凡夫、菩薩の有漏の身体のままで仏になることはできないのであります。
では、今生での即身成仏とはいかなる事態となるのかと申しますと、有漏の身体を土台として、清らかな意識を菩薩行により生成していくことで、最終的には、その清らかな意識によりて(今生にて)成仏するということになります。
即身仏(ミイラ仏)の行者が、もし(今生にて)成仏されたとするならば、残ってある身体は、有漏の身体の抜け殻と言えるかとは存じます。
合掌
こんにちは。答えはわかりませんが面白い質問ですので思うところを書いていきますね。
お坊さまを像や絵にしたものを「頂像」(ちんぞう/ちんそう/ちょうそう)と言いますが、即身仏(ミイラ仏さま)も「頂像」になるのかなぁと思いました。
如来・菩薩の違いとして、悟りを開いていれば如来 悟りを目指すものであれば菩薩となりますので、そのお体の持ち主によって言い分けるのかもしれません。一方でお坊様のお姿が像になっているものとして、弘法大師さまや達磨大師さまなどを思い浮かべますが、これらの像に「○○如来」や「○○菩薩」などという呼び方をしないですし、私が修行した本山にも即身仏がいらっしゃいましたが、「○○如来」や「○○菩薩」などという呼び方はしていませんでした。如来・菩薩・明王・天 のどれにも当てはまらないのかもしれません。
どちらにしても仏法を伝えた先人として敬意をもち手を合わせることが大切だと思います。
質問者からのお礼
光禪 様
とても参考になるご回答、どうもありがとうございました。そして、お礼のメッセージがかなり遅くなってしまい大変申し訳ございません。「面白い質問」と思われたということは、きっと私のような疑問を持つ人は少ないということですよね。あまり仏教の事を知らずに育った私にとっては、仏教はまるで脳トレのような、なんと言葉で伝えるべきかわかりませんが、とりあえず自分の頭で考えなければならない側面が強いと思っておりまして、一人で考えて結論を導くのにここ最近本当に限界を感じておりましたので、私が長い間抱いていた疑問がやっと解決できるようなご回答が頂けて、脳の負担が大変軽くなりました。そもそも、私はお坊さまを像や絵にしたものを「頂像」ということも知りませんでしたし、特に菩薩と如来の違いも、そのお体の持ち主によって言い分けるということでしたので、それではこの世界にいる私たちには如来なのか菩薩なのか分別がつかないのかも?と思うと、脳で理解しようとする試みから遥かに飛び越えてしまうという理解の仕方に、仏教に対して更なる興味を抱きました。確かに、弘法大師さまや達磨大師さまをそのような呼び方をしないですよね。
光禪様の如来・菩薩・明王・天のどれにも当てはまらないのかもしれず、頂像に当てはまるのかもというご意見、本当に大変参考になりました。そして、アドバイス通り、どの即身仏様にも敬意をもち手を合わせたいと思います。本当にどうもありがとうございました!
eishun 様
とても為になるご回答をどうもありがとうございます。キリスト教などの西洋文明を支える宗教と違い、明確な回答があるわけではないというのが仏教のスペシャルポイントだと思っておりますが、「即身仏はイコール仏・如来と言えるわけではなく、あくまでも修行の一成果、そしてその象徴と捉えるのではないか」というご回答、大変参考になります。また、もしあえてということであれば、「菩薩」になるというのも、私の稚拙な質問でも(無理やり?)結論づけることができるのだと知ることができて、とても感銘致しました。
また、無上瑜伽タントラのお話は、ここ最近読み漁っていた即身仏に関する書籍にも説明がありましたが、eishun様のご説明無しでは、ちんぷんかんぷんの箇所がありましたので、大変助かりました。書籍では、この辺の説明はかなり難易度高めに説明しておりますので、eishun様にこの辺のところを易しい解釈の方法でご説明して頂けて理解が大変進みました。確か、この辺のことは「蝉の抜け殻」と表現されて、本に記載があったと記憶しております。本当にどうもありがとうございました!おかげさまで、即身仏に更なる畏怖の念を抱きました。