愛犬を殺してしまいました
初めて相談させていただきます。
胸糞の悪い話になりますが、どうか読んで頂けると幸いです。
去年、犬を迎え入れました。最初は可愛がっていたのですが、仕事のストレスから八つ当たりしてしまうことが多々ありました。心療内科にも通っていて、当時は相当荒れていました。散歩もたまにしか行けていませんでした。興奮するとおしっこをしてしまう子で、私はよくそれがきっかけでスイッチが入ってしまいあの子に何度も怒鳴ったりしてしまうことがありました。
それから数ヶ月ほど経った後、また同様に構っている最中におしっこをしてしまったのが原因でイラついて愛犬を手にかけてしまいました。
あの子が息をしなくなった時、自分は怖いほど冷静でした。しかし数分後には大号泣していました。今、そんな自分にも腹が立ちます。
本当に本当に酷いことをしてしまったと悔やんでいます。荼毘に伏した後、今は毎日手を合わせています。自分でやっといて何を言うんだと思われるでしょうが、本当に後悔しています。毎日、あの子のことを考えて泣いて、後追いも考えました…ですが私はそんなことはできない弱い人間でした。
今、それでもまた犬と暮らしたいと思う自分がいて、恐ろしいです。とっくに動物を迎え入れる資格など無いのは分かっています。
自分はこれから一生生きて償わなければならないとは分かってはいても、もうそんな気力もなくしてしまいそうな時があります。
私がこれからあの子の為にしなければならないことは供養の他にありますでしょうか。なければ、この身勝手で醜悪な人間に叱責をお願い致します。
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たかが祈り、されど祈り
おはようございます。
ご質問みました。
キツい言い方でごめんなさい。
懲りてください。
ストレスとか、犬だからとか、通院していたからとか、理由の如何を問わず、してはいけないことがある。
ということを愛犬は教えてくれたんですよね。
手は合わせるために使うもの。
ということを忘れてしまうなら愛犬は報われないです。
供養のほかにと仰いましたが、これから先も手を合わせ続けることは簡単じゃないです。
あれこれ違う何かで気を紛らわすのでなく、まず今日から3週間手を合わせることを継続してください。
愛犬の供養を短絡的に考えるでなく、祈りの場は自分をねぎらう場でもあります。
1日心が荒ぶれずに過ごしたね、偉かった自分という意味も持ってください。
3週間後は節分です。
豆と一緒に心の中に潜む鬼を出してください。
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お返事ありがとうございます。
腹立たしくなるお気持ちお察ししますが、ご自身を責めても愛犬さんは浮かばれません。
供養を軽く扱うとは思ってませんよ。
琥珀さまに限らず、供養以外に何かと思ってしまうのは人の性です。
自分を責めたり、追い込むことは供養ではありません。
そこはご理解くださいね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。もう今後動物は飼わないとあの子に誓っています。
なんてことをしてしまったのだと毎日後悔しています。そして毎日のうのうと生きてる自分に腹が立ちます。あの日に戻れたら…と何度も考えますが失われた命が戻ることはないのも分かっています。本当にあの時の自分は別人のようにおかしかったのだと今になって思います。後悔しても遅いですが…
決して供養を軽く見た発言ではありません。もちろん毎日手を合わせています。これからも一生償う気持ちを忘れずに生きていかなければと思いました。ありがとうございました。
あの子が天国に行けるよう、次はもっと優しい家庭にいけるよう日々祈ります。