お坊さんでも同じような経験はありますか?
お坊さんでも
お坊さんでも軽装な行動から大きな失敗に繋がってしまったことはありますか?
私はいま、昔してしまったとても小さな選択による後悔を何年も引きずり、見て見ぬふりをした結果、とても大切な大きいものを失いそうになっています。
清算し、気持ちを切り替えて前に進もうにもその後悔やそれ以上の罪悪感がその後も続くのではないかと不安です。
ちゃんと断ち切れるのでしょうか。
自分の馬鹿さ加減が本当に憎いです。
親にも申し訳ないです。
誰しも失敗し学んでいくと分かっていても、もう自分が自分であることも嫌になります。
結局人は人、自分は自分なので人の失敗エピソードを聞いても解決するわけではないのですが、どのように立ち直れば良いのかヒントを頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
失敗で失うこともあるけれど、また始めればいい。そんな余裕をね
失敗経験は、ありますよ。人間関係でも仕事でも。
結局は、ちゃんと理解していなかったり、周りが見えていなかった(相手のことまで気づけなかった)んだなと反省もたくさん。
そんな経験は、行動する時に考える時間や学ぶ意識に変わっていきましたし、人との関わりも丁寧にと心がけるようになりますよね。
あまり求め過ぎても、及ばないとしんどい。手放すことを恐れ過ぎても、前に進めない。結局は、余裕のない自分のまま。
厳しくダメ出しして自分を嫌うよりも、「まぁ〜しかたない」とゆるく自分を受け入れていきましょう。
失敗で失うこともあるけれど、また始めればいい。そんな余裕をね。
時間をかけながら
拝読させて頂きました。
私も一つの失敗からとんでもないことになってしまったことはありますね。本当に取り返せないと思うほどリカバーできないと思うほど「あー…やってしまった…」という経験はいくつもあります。今考えてみても恥ずかしいと思いますし、顔から火が出るほどの思いが頭に残っていますね。その後だいぶ私の中も周りも変わりましたし、多くの方々が去っていきましたね。
あなたの失敗がどの様なものなのかはわからないですが、あなたのお気持ちを心よりお察しします。
それでもその様なことをしてしまって初めて気がつくこともあるものです。そう思うことができるようになるには時間もかかります。どうしても頭から離れなくて本当に自分のことが嫌になってしまう時間もかなりありますし、何とか忘れたいとあがいたりする時間もあります。そうして少しずつ時間が経過していく中で自分の中で昇華していくことも見直すことも出来る様になっていきます。或いは自分自身は今どうなのかという身の程も分かるようになってくるでしょうからね。
あなたもご存じでしょうが失敗してみないと人間本当には気がつかないものです。自分の愚かさも浅はかさも失敗して痛い思いをして初めて気がつかされるものですからね。
そしてそれから自分のことが本当に分かってくるのかと思います。自分の足元を見つめる様になってくるのかとも思います。「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)ですね。自分の足元を照らして見つめ直して自分の愚かさを知って初めてしっかりと地に足ついて歩みだすことができるのかと思います。
どうかあせらないで下さいね、時間をしっかりとかけながらこれからの未来を歩んでいって下さいね。あなたを心より応援していますね。
質問者からのお礼
中田様
お礼の言葉が遅くなり申し訳ございません。
まだまだ気持ちの整理がしきれてはいませんが、少し心がホッとするようなお言葉をいただき、何度も読み返しています。
本当にありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azuma様
お礼の言葉が遅くなり申し訳ございません。
お坊さんでも、そのような経験があるのですね。お話お聞かせくださりありがとうございます。
失敗した分これから誠実に生きていきたいです。正直焦りが消えませんが、何度もいただいたお言葉を思い出し、ゆっくりと歩いていこうと思います。