休むことが怖いです。
こんにちは、初めて質問させていただきます。
最近とても疲れてしまって、楽しいことも嬉しいことも感じなくなってしまいました。
家族に心配されて優しい言葉をかけられても、怒りの感情が湧いて突き放してしまいます。その後「なんであんなことしたんだろう…」と自分を責め、1人で泣いています。
小さな頃は体が弱いなりに元気に走り回って活発な子でした。しかし、ここへ来てエネルギーが空っぽになった感じがします。身体が重くて、大好きだったことも、勉強も、遊びもやりたく無くなってしまいました。ずっとずっと寝ていたい。。。そんなことばかり考えるようになってしまいました。実際に寝てしまうと、罪悪感で押しつぶされそうになります。
休め、と言われても、休むことができません。なぜなら、私が止まっていても周りは進んでいって、置いていかれることに焦りを感じるからです。とても怖いです。動かなくては、進まなくては、と思っているのに身体は重くて動かなくて、矛盾だらけで情けない自分が本当に嫌いです。
どうしてこうなってしまったのだろう。ぐるぐると考えて、夜も眠れなくなりました。特に何かある訳でもないのに、涙がポロポロ落ちてきます。
家族はみんな優しくていい人ばかりです。家族の誰かが自殺しようものなら、彼らは自分たちを責めてしまう、壊れてしまう。それでも、家族なんてどうだっていいから、生きることをやめたい、どうしようもなくなった去年の夏、母にその気持ちをうちあけました。すると母は「私を殺してから死ね!!」と怒鳴りました。私は怖くて、もちろん大好きな母を殺すことなんてできなくて、ここまで生きました。
もう、疲れてしまいました。どうしようもなく、疲れてしまいました。休め、と言われても休み方が分かりません。休むことが怖いです。どうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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休むことも時には大事
頭の中で色々考えすぎて疲れちゃったんですね。
考えていることは案外想像に過ぎないのです。仏教では妄想(モウゾウ)と言います。休むと自分だけ置いていかれると思う。思っているだけです。休む時は休まないと先に進めないのです。必要なことなのです。
仮に病気にかかったとしたら、徹底的に休んで治療して病気と向き合わないと先に進めないでしょ。
考えなくていいのです。生きている今の事実に生きたら良い。動きたい時は動くのです。考えている暇なんかない。夢中でやれば良いのです。
死にたいと思うのも勝手ただの妄想ですから、その時そう思ったというだけ。相手にしないのです。思いの奴隷になってはいけません。自分とは何かを知る道が仏道です。それを知るために、事実に生きるのです。想像や考え方、記憶、思いではなく、目に見える今、音、香り、味、皮膚の感覚そうしたリアルがその時っきりで終わっているという事実に生きるのです。
その事実が自分自身の真相に気づかせてくれます。安心を与えてくれます。
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質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
「考えなくていい」この言葉にハッとしました。
ふと死にたいと思ってしまうことが、とんでもない罪な気がしてそれに苦しんできました。それもその時の妄想。相手にしなくて良いのですね。