過去に犯した罪の罪悪感で苦しんでいます
はじめまして、私は過去に取り返しのつかないことをしました。
訴えられれば間違いなく損害賠償などの問題になるような事です
相手に謝罪したくても今その相手がどこにいるのかも何をしているのかも分かりません。
相手を傷つけてしまった自分に酷い罪悪感があるのですがそれ以上にもし相手が今から法的措置を取ってきたらどうしよう、自分のやったことが家族にバレたらどうしようなどと言った自己保身めいた考えが浮かんできてしまうことが兎に角嫌で嫌でたまりません。こんな最低な自分がとことん嫌になります。
「周りの人達は誰もこんな事してないだろうし」「なんで自分はあんなことが平気で出来てしまったんだろう」「私は犯罪者なんだ、もうあんなひどいことをした人間に生きる価値はない、死んだ方がいいに決まってる」という考えが一日中頭をぐるぐるしています。
今私が何の罰を受けることもなく生活出来ていることがとにかく苦しいです。誰にも言えないままこの罪悪感を抱えてこれからも生き続けることが怖くてたまりません。
ですが親しい誰かに打ち明ける事も出来ません。
軽率な考えで犯罪になるようなことをしてしまった事が一緒に暮らしている両親や兄弟、自分を暖かく見守ってくれた祖父母に対して申し訳なくて仕方ないです。
もし私のやったことがバレたら両親や友人たちは私をどんな目で見るんだろう、学校や就職も全部ダメになるかもしれない、家族が私のせいで路頭に迷うかもしれない、大事な家族が世間から嘲笑され続けるかもしれない、もしかしたら相手が私のせいで自殺しているかもしれない、でも謝りたくても現状どうやっても謝れない、毎日こんなモヤモヤした気持ちを抱えています。
自分のやった罪の重さは自覚しています。どうやったってもう消せないものです。でも私のせいで家族が巻き込まれる事だけは嫌です。世の中がそんな都合よくないのは若い私にも分かっていますがこの考えが頭から離れません。
私はこれから先どうやって生きていけばいいのでしょうか。
正直犯罪を犯したという負い目を抱えながら生きていく自信がないです。いっそ自殺したい、事故にあって死にたいという罰当たりな想いが日に日に強くなっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悪人でも極楽浄土に往生できる
浄土宗では、どんな悪人でも南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、来世で極楽浄土に往生できると考えます。
極楽浄土を創った阿弥陀仏という仏様は、善人でも悪人でも極楽浄土に迎えてくださると、経典に書かれているからです。
あなたも南無阿弥陀仏と念仏を唱えてみてください。
それであなたの人生のハッピーエンド(往生極楽)は確定します。
犯罪が帳消しになるわけではありませんが、仏様はあなたを見捨てない。
月は、太陽の光を反射して闇夜に輝きます。
あなたは、仏様の救いの光に照らされて光る月になりましょう。
あなた自身に仏様のような善のパワーがなくても、仏様の光を反射して、月のように闇夜を照らせば、その、あなたのかすかな光に救われる誰かがいるかもしれません。
あなたは、悪人でも許す仏様の大慈悲を見習い、弱くて愚かな人々の悲しみを理解できる大人になりましょう。
そうすれば、仏様も喜んでくださるでしょうし、あなたは社会の片隅を照らす小さな灯火になれるはず。
質問者からのお礼
ありがとうございます、少し心が軽くなりました。自分のしたことの愚かさは絶対忘れないようにします。
これから先自分が変われるのかは分かりませんが精一杯頑張ってみます。