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祖母の信仰心によってトラウマができた

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小学生の頃にテストで100点を取りました。嬉しかったので母に見せました。褒めてもらえませんでした。母子家庭でしたので父はいません。
私は電車に乗って祖母の家に行きました。褒めてもらうためです。祖父はいません。
私は祖母に100点のテスト用紙を見せました。
祖母は大変喜んでくれ、「私が毎日仏壇に拝んでいたおかげだ」と言いました。
更にこうも言いました。
「あんたも手を合わせてお礼を言いなさい」
私は仏壇に向かって手を合わせて「テストで100点を取らせてくれてありがとうございます」と言いました。

未だにこの一連の情景が年に数回ほどフラッシュバックします。
悔しさ、後悔、むなしさ、憤怒、悲しさ。様々な感情が込み上げてきて、自分の口を掻きむしりたくなります。
私はただ、誰でもいいから「よく頑張ったね」と言ってほしかったのです。そして他ならぬ私だけは、自分の努力を否定する言葉を自分自身で口にしてはいけなかったのです。

祖母はその出来事から数年後に鬼籍に入りました。
私はこれから、フラッシュバックを起こさずに生きていけるようになると思いますか?
また、深い信仰心によって人を傷付けた祖母は地獄に落ちたでしょうか?

2022年1月25日 8:01

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

環境に感謝することは悪くはない

努力しても結果が出ない人もいます。
また、努力できない環境の人もいます。
努力が結果に結びつくことは、実は自分独りの力だけではないのです。
もちろん、子供を褒めることは重要です。
自己肯定感がある子供は、「私はやればできるのだから」と転んでも立ち上がるエネルギーが湧いてくるでしょう。
しかし一方で、成功を全て自分の努力のおかげだと思ってしまうと、弱者や負け組と呼ばれる人々に対して冷たい態度になる危険があります。
ですから、努力できる環境や努力できる才能を与えられたことについて、感謝することは良いことだと思います。
お祖母様は、地獄に堕ちるような罪を犯していません。
あなたの苦しみの原因は、あなた自身の怒りやプライドの煩悩なのです。
当時は子供だったのだから無理もありませんが、大人のあなたの意識で、情報を上書きしましょう。
自分自身の怒りの煩悩とプライドの煩悩のせいで、自分で自分を傷つけてしまったのだ、次からそこに気を付ければ人生はかなり楽になるのだ、と。
もちろん、あなたの気持ちはよくわかります。
やはり、子供を褒めることは本当に大切ですね。
たなたの身内は、現在の子育ての考え方から見たら、「下手くそ」だったのでしょう。愛情が無かったわけではなく。
追記 
 トラウマを抱えながらもお子さんを守るために生きていらっしゃるあなたは、お子さんにとっては太陽ですね。
 照らしてくれる太陽があれば、月は闇夜にあっても輝けますね。

2022年1月25日 12:41
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

その通りだと思います。人は一人では生きていけない、誰かに頼らずには生きていけないので、感謝無くしては生きていけません。
努力する環境を与えてくれたこと、努力すれば結果が出る才能を与えてくれたことには感謝しなければなりません。
それでも私はコンクリートから生える大根ほどには強くは無いので、土壌を与えられるだけでは飽き足らず、水を欲してしまったのです。
あの当時の私を慰められるのは今の私しか居ないのでしょうが、今でも誰かに褒められるということを強く欲してしまいます。

私には娘が一人居るのですが、その子の出産中に助産師のある言葉に泣いてしまったのを覚えています。必死になって呼吸を繰り返す私に、助産師さんが「息吸うの上手だよ」と言ってくれたのです。
本来、人間は呼吸をしているだけで褒められてもいいのかもしれませんね。
私の娘にはどんなに些細なことでも褒めるように心がけています。

>>たなたの身内は、現在の子育ての考え方から見たら、「下手くそ」だったのでしょう。愛情が無かったわけではなく。

仰る通りです。私は自立することができたので、他にも2つトラウマがありますが、まだ成功例です。
しかし姉は、完全に下手くそな育児の失敗例になってしまいました。
褒められないと分かるや努力をキッパリ止めて好き勝手に遊んで過ごした私に対して、姉は褒められないにも関わらず努力を続けました。それからとても書ききれないほど色々のことがあり、姉は現在薬物中毒で服役中です(薬物で捕まるのは2回目、以前は放火でも捕まっています)。私よりもよっぽど才能に溢れていたにも関わらずです。
もう姉のことを愛してくれているのは母しかいないのに、その母のことをちっとも信頼していないので、更生は絶望的です。私は娘が第一に大切になったので、もう関わり合いになりたくありません。
これに関しても、姉に苦しめられている母を見ていると可哀想という気持ちと自業自得だ、ざまぁみろという気持ちが交互に湧き出て苦しいです。

私の気持ちを聞いてもらってありがとうございます。でもやはり、フラッシュバックはまたやって来ると思います。祖母のようになるのが怖いので、宗教にすがりたくもありません。
いつもは幸せに過ごせているのでいいですが、たまにすごく苦しいです。辛いです。
それでもトラウマを抱えて生きていきます。

「祖父母のこと」問答一覧

母と養子縁組前の実祖母

40代3人の子持ち母です。 昨年父が他界し母の戸籍を取り寄せたところ、母は幼少の頃養子に入って実母と別れ育ったのですが、生みの実母(私にとって実祖母)の名前と住所が分かりました。 その後ある霊視のできる方からこの実祖母方の先祖供養をした方がいいと言われ、お寺で供養しています。 今は朝晩心の中で日々の感謝の気持ちを伝えたり自分なりにできることをしています。 最近母の認知症が進んできていつまで物事がわかるのかと考えた時にふと実祖母のお墓参りをさせた方がいいのではと思いました。 お墓はどこにあるか分からないのですが、そうした方がいいと思うのは母は今まで実祖母の母の話をほとんどしたことなく育ての方から十分に愛情を受けてないからか私たち姉妹はネグレクト気味に育てられ一番上の姉は統合失調症で入院、2番目は病気持ちで連絡とりたいんですが疎遠になりました。私も昨年癌を患い手術し父も最期は4つの癌と闘い旅立ちました。それは母自身の生立ちと関係があるのではという気持ちがどうしてもあるからです。母は自分では意識してないかもしれないけど会いたいんじゃないかと思ったんです。 ですが養子縁組前の親戚が嫌がるんじゃないか。母を余計に不安定にさせるのではないかと考えてしまいます。 私は家族のためにどうするべきか、導いて下さい。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 10
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祖父のために出来ること

祖父が亡くなって辛いです。 私のプロフィールに書いた状況をお読みいただけましたら幸いです。 プロフィールにある現在の状況下で 私は自分を見失いかけています。 しっかりしなきゃいけないと分かっていても このままではダメだと思います。 大往生だよと周りの方に言われてもプロフィールのような経緯からか 心から受け入れる事ができずにいます。 いずれお別れが来るのも理解はしていましたが 祖父が生きた証を強く残したいその思いばかりで何もできておりません。 大往生の言葉が受け入れられないのも 祖父が苦労ばかりの人生だったのではないかと申し訳なく思うからです。 父の代わり、母の代わりとなり 愛を注いでくれた祖父でした。 あの頃の小さな私に人間として接して愛してくれたのは祖父だけでした。 祖父は親族皆に分け隔てなく いつも自分を犠牲にして守ってきてくれました。 祖母が亡くなってからの46年間弱音も吐かず 皆を引っ張ってきてくれました。 それなのにそんな祖父の最期を看取ったのは私なんかでそれも申し訳なく思います。 葬儀も私と私の夫、子供たち、納骨もそうです。 親族があまりにも冷たいとか酷いとも思うけどそれは私に変えられる事でもないですが恨んでいます。 激しい憎悪に近い感情から抜け出せません。 長男嫁は長男亡き後、祖父に祖母のお仏壇を返さずに祖父に祖母のお位牌だけ渡しゴミのような扱いをしていたり、祖父が生前、長男嫁に 私はあんな墓には入りませんと言われたと 悲しそうに言っていました。 その後長男嫁は夫(長男)をそのお墓に納骨しましたが私はそんな事を言っておきながらそのお墓に手を合わせに来る長男嫁の行動が許せません。 私は祖父に 何もしてあげられなかったという自責の念を 一生背負っていこうと誓っていますが それでも実際何をしたらいいのか見出せずにいます。 苦労ばかりで旅立った祖父へ私にできる最大の恩返しをしたいです。 お墓の名義は私に変更しました。 これから墓守りを精一杯していきます。 納骨を終えたら祖母とやっとゆっくり休んでいるよねとそうあってほしいと心から思います。 祖父は私に何を望むか私にできる供養は何かを アドバイスいただきたいです。 お仏壇は魂抜きもしていただいていませんが 長男嫁が保管しております。 宜しくお願い致します。

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祖母のこと

祖母が亡くなってはや20年が過ぎようとしています。 私が就職難の時代になかばニートになりかけていたあの孤独な日々に無償の愛、それもともすれば親子間の拗れた愛憎の日々において、全肯定の穏やかな笑顔にどれほど救われたか。 そんな祖母が時折、具合の悪い時も家のことで働かされ、実家にも帰らせてもらえなかったことを漏らすのを聞いていました。 祖母の娘である母から伝え聞いた話では、義両親と同じ墓に入れないで、と言ったとか。 そうは言っても祖母は舅姑と同じ墓に。 もやもやしつつも生の世界の道理がそのまま引き継がれるものかもわからないし、このことをどう捉えたらいいのかなと思います。 大好きな祖母が憎んだ舅姑も聞いている話が祖母や母からの一方からだけなので人となりの全てがわからないものの、悪き昔の家父長制の文化の中でそうなるのも仕方ないのかもしれませんが、私の頭の中では悪者として思い描かれてしまいます。 それでもいなかったならば私はこの世に生を受けなかったわけで祖先として感謝もし、供養もしないとなと思いつつ、心の中のわだかまりをどうか整理したいと思っています。 なにしろ私だって立場が変われば誰かの目の上のコブ、悪者にだってなっているかもしれませんから。

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祖父母を悲しませ幸福を選び後悔しています

自分の幸せを選び、母方の祖父母を悲しませてしまいました。 私の選択は正しかったんでしょうか。 また、この後悔をすこしでもやわらげるにはどうしたら良いでしょうか。 私は母方の祖父母の養子縁組になり、家を継ぐ予定でした。 しかし、学生時代に留学先で知り合った外国の方とお付き合いを始め、その人と結婚するために日本を去ることを選びました。 そのことを告げた時の祖父母のことを思い出す度、自分の選択は正しかったのかといつも後悔します。 本来であれば、母方の家は叔父が継ぐ予定でしたが、叔父は19の時に事故に遭い若くしてこの世を去りました。 当時私はとても幼かったのですが、その時の家族の悲しみや、その後も寂しそうにしている祖父母が忘れられませんでした。 2人のことを放って置けず、よく意味もわからないまま小学生になった頃から祖父母を安心させたくて、私が家を継ぐから安心してと言い出しました。 祖父母はとても喜んでくれ、私のことも大切にしてくれました。 しかし歳を重ねるにつれ、田舎で生涯を過ごすことや自分の人生に制限がかかることが、本当に自分の幸せなのかと疑問を抱くようになりました。 そして、そんな中今のパートナーと出会い、日本を離れることになり、家を継ぐこともできないと祖父母に言わざるを得なくなりました。 最初は少し反対していましたが、私の人生だから仕方ないと納得してくれました。 しかし、2人の悲しそうな顔を忘れることができません。 私が日本を出る前には、祖母が「幸福になるのよ。」という手紙と共に身代わりの御守りも送ってくれました。 誰かを悲しませてまで自分の幸福を選んだこの選択は、正しかったのでしょうか。 どうすればこの罪悪感や後悔とうまく折り合いをつけられますか。

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祖父の今後について嫌な事を考えてしまう

こんにちは。私の祖父について相談させて下さい。私の祖父は80代後半ですが先月まで働いていたほど、元気でした。 しかし、先月倒れてしまって命が危ないとまで言われましたが先日退院することができました。 しかし、退院してからの祖父は弱々しくて歩くのもやっとになってしまってトイレも着替えもままならないし、「辛い、痛い」とよく口にします。 病院に行っても「早く帰りたい」と何度も口にして、病院が辛かったらしくその日は病院から帰宅後、立つこともできず、寝返りすら辛そうになっていました。祖父が退院したと言っても根本の病気の治療はこれからで、何度も通院しなきゃいけないだけでなく、遠距離の通院になります。 酷い孫ですが、辛そうな祖父を見てると「病院に行かない方がいいのかな」とか祖父にそういう選択肢がある事を伝えた方がいいのかなとか考えてしまったり、お金の事が頭を過ったりします。 祖父が入院した時は「死なないで」と思ったのに、祖父が大切だとも思ったし、祖父が退院した時は嬉しかったのに…こんな事を考える私なんて死ねばいいのにと自分の事ばかり考えてしまって… 祖父に死を選ばせる事、お金の事、自殺願望などどうすればこんな嫌な事を考えなくなりますか? また、矛盾してるかもしれませんが、私は他の人の死への覚悟の仕方もわからないんです。覚悟ってどうすればできるんでしょうか?

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祖母が延命治療で頑張っているが苦しそう

こんにちは。ご相談させていただきます。 私の祖母はもう高齢になり、病気になってしまってしまいました。今はなんとか病院に入院したり薬を服用してお医者様の力を借りて生きることができています。 祖母本人は治療は積極的ではありませんがなんとか説得して治療を受けています。 時々調子が良くなると歩けて以前のように料理を作ることができますが、どんどん症状は進行していてとても苦しそうです。 もちろんお医者様もなるべく祖母が苦しくないように最大限対策を取って治療してくださいますがそれにも限界があるようです。   そしてこの間お医者様から祖母は今年の冬を超えて生きられるか分からないと言われました。 詳しいことはよくわかりませんが、祖母の病気だとどのように治療しても普通の人よりもとても苦しい亡くなり方になるそうです。 人の寿命や病気は人が操れるものでなく神様や仏様の領域だということは理解しています。 でも祖母を見ているととても苦しそうで亡くなる直前病気のせいで普通の人よりも苦しいのかと思うと死ぬときくらい穏やかにあの世へ旅立って欲しいと思っています。 仏様や神様に祖母自身が頂いた寿命まで治療やできることを全部して亡くなるまで生を全うすれば亡くなるときくらい苦しみを少しでも和らげられるようにお願いしてもよろしいのでしょうか。

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祖父の火葬に立ち会えませんでした

昨日、祖父を亡くしました。 祖父は今年の2月に肺がんを宣告され、自宅療養をしておりました。 祖父、伯父夫婦(祖父の長男と奥様)、父(次男)、私の5人で同居をしていて、次男である私の父がずっと祖父の面倒をみていました。 一昨日の夜に容態が悪くなり救急車で病院へ運ばれ、そのまま入院するということになったのですがその翌朝には逝ってしまいました。 遺体は自宅には戻さないということになり、葬儀の日程が決まり、最後に顔を見てお別れが出来るものだと思っていたら、先ほどもう既に火葬が済んだということを父から聞かされました。 祖父は生前から家族葬を希望しており、私たち家族だけで見送ってほしい、盛大な葬儀などはやらないでほしい、と強く父に言っていたそうです。 葬儀の準備などは全て伯父夫婦が進めており、祖父の意向と家族葬であることを伝えると先に火葬することを勧められたそうです。 調べてみると骨葬といって、地域によっては先に火葬を済ませてお骨の状態で葬儀を執り行うことが普通のところもあるということを知ったのですが、家族である私たちが最後に顔を見れずに終わってしまうことなんてあるのだろうかと納得がいきません。 その火葬には伯父夫婦も立ち会ってはいないそうです。 父が言うには、霊柩車で自宅に遺体を安置するとご近所の皆さんに知られてしまい祖父の意向に反してしまうし、斎場にも場所が無かったのかもしれない、 専門の知識がない我々はお寺の方に従うのが一番安心で故人を気持ちよく送ってあげられる、と納得している様子なのですが、顔を見てお別れができるものだと思っていた私は心が空っぽになったような気持ちです。 焼かれて骨を拾うことで気持ちの整理がつけられるとも思っていました。 救急車で運ばれた際の検査で祖父がコロナにも感染していたことがわかり、コロナに感染したご遺体は家族と顔を合わせることができないというケースを聞いたことがあるので、そういった要因もあるのかなと思ってはいるのですが、 突然骨だけになって帰ってきた姿を見て、自分が気持ちに踏ん切りをつけられるのかが不安でしかたがありません。 葬儀やそういったことに詳しいお坊さんのご意見を聞かせていただきたく、このような質問をさせていただきました。

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