会社の方がお亡くなりになりました
少しだけ気持ちを聞いて頂きたいことがございます。
一昨日、会社の方がお亡くなりになりました。57歳でした。
1年ほど前に膵臓がんと診断され、しばらくは在宅ワークをされていましたが、
数か月前から体調を崩し休職され、治療に専念されていました。
1ヵ月ほど前に少しの時間だけ電話でお話しする機会がありましたが、その時は
まだお元気そうな声でしたが、それからしばらくして体調が優れなくなってきたとそうです。
一回り以上年齢も上なのですが、生前とても優しく接してくれて、大変お世話になりました。
何とか元気になって頂きたいと私も他の社員の方も願っていました。
まだ亡くなられたことが信じられず、悲しく寂しい気持ちが押し寄せてきます。
しかし、「今日一日を安全で健康に、そして普段通り仕事をすることがご供養になるのではないか」と昨日から自分に言い聞かせております。
気持ちを聞いて頂き、ありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
影響を受けながら今日も務める普段通りに。それも供養の形ですね
そんなことがあったのですね。
近しい方の死は、とても寂しく残念ですよね。もっと一緒にお話したかったなぁと思う気持ちもあり、病にお辛かっただろうと思うと、願うことしかできなかった無力さを感じますね。本当にこの世は無常ですね。
あなたがこうして、お話しくださり、その方を想っておられる気持ち。あの方が歩いてこられた仕事への姿勢を、あなたも また影響を受けながら、今日も務める、普段通りに。それも弔い供養の形ですね。
お世話になりました、お疲れ様でしたと、あなたの声が聞こえてくるようです。
合掌
供養は忘れないこと
Hirokiさん、はじめまして。質問を拝見しました。
Hirokiさんはお世話になった会社の方が亡くなられたのですね。お悔やみ申し上げます。
「今日一日を安全で健康に、そして普段通り仕事をすることがご供養になるのではないか」と昨日から自分に言い聞かせておられるのですね。
私は供養とは「故人を忘れないこと」であると考えています。
治療に専念していて1ヶ月ほど前に電話で元気な声を聞いていたのに、もう亡くなってしまいました。
亡くなったということはもう会えないことです。だから悲しいのです。
風中の灯火が消えて再び輝かないごとく、もう再び生き返らせることはできません。谷川の水は川上に流すことができない如く、もう再び生き返らせることはできません。
樹木静かならんと欲すれども風止ます。子養わんと欲すれども親待たず。
温和なその顔は向かえども語らず。夢に似て夢にあらず。
幻の如くにして幻にあらず。
これから1年2年と経つうちに故人の記憶は薄れていってしまいます。
それでもなお、時に応じて故人のことを思い起こして忘れないでおくことが供養になります。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
質問者からのお礼
ご回答頂き、ありがとうございました。
まさにコメントに書いて頂いたようなもっとお話ししたかったり、無力さを感じたりしています。悲しい気持ちはまだ続きそうですが、その方のことを忘れずに一日一日歩いていけたらと思います。
気持ちに寄り添うコメントを頂き、救われました。ありがとうございました。
中村太釈様
コメント頂きましてありがとうございます。
昨日、仕事終わりに同僚と駅まで一緒に帰りました。
亡くなった方との楽しかった思い出を話しながら帰りましたが、
そうしているとそばにいらっしゃるような、心のなかで生きておられる
気がしました。
忘れずにいることも大切ですし、こうして自分の心のなかで生きておられるような感覚も忘れないようにしようと思いました。
ありがとうございました。