進みたい。強くなりたい。
お坊さんのみへの公開でこれまでの経緯を記載しております。
夫の不倫、離婚、同じ夫との再婚から私の心変わり。
いろんなことがありましたが、私が今一番強く思うのは自分の弱さ、卑しさです。
もう傷付きたくない、絶対に裏切らない人を選びたい、絶対に幸せにしてくれる人はどちらか、など、全部相手です。いつもそう頭を抱えては、ハッと気が付きます。
自分が変わらないと何も変えられないはずなのに、夫との過去がフラッシュバックしたり、彼と上手くいかないと、どっちが正解か、どっちに進むか、嫌なところはどこか、愛せるのか、そんなことばかり。
こうしたい、という気持ちはあるけれど、それを相手にぶつけることもできず。
気持ちをぶつけもしないのに、毎日頭の中だけで考えて、人を勝手に肯定したり否定したり。
こんな私ではなかったと思います。
真っ直ぐに人を愛していたと思います。
どうしたら元の自分に戻れますか。
どうしたら自分を信じ、相手を信じ、自分の道を決めて進むことができますか?
時々、もう私は誰のことも幸せにはできない、意味のない人間なんだと思い、死にたくなります。
夫も彼もキープしているみたい。
こんな人間は嫌です。
でもこわいです。もう、裏切られるのがこわいです。今は、自分のことも信じられません。
真っ直ぐに生きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を一番大切に。
小梅さん
おはようございます。
旦那さん、彼氏と人間不信になるようなことが続きましたね。
これでは混乱してつらくなってしまうはずです。
小梅さんはご自身でも
ご理解されているように
すべては「自分が変わらなくては」
ということですよね。
幸せって自分次第です。
例えば転んで膝を擦りむいたとする。
「なんでこんなとこで転んだの?人前で恥ずかしい!怪我までしてなんて不幸なの!」
と思う人と
「こんなところで転んで笑っちゃうネタができた!しかも大した怪我してないなんて、私はとても運がいい!」
と思う人では
同じ人生を歩んでいても
まったく幸福度が違います。
幸せは自分で掴む。
与えられた幸せはどこまでいっても
不満や不安がつきまとい、
思い通りにならないことを嘆きます。
また、信じることについて。
お釈迦様が亡くなる前の最期のお言葉に自分と仏法以外灯火とするなと言われています。
自分以外を信じるとは、どういうことか?
「私、彼を信じてるんです」
悩み相談でこのように話す女の子は
疑っているから「信じる」という言葉を使います。
また、人を信じるという意味は裏返せば期待しているということです。
「私あなたを信じてるよ!」
と言われた相手は怖くなるものです。
なぜなら裏切られたら
「信じていたのに!」
と無責任な期待をされた結果正義を振りかざされるからです。
自分以外信じるということは
無責任に相手に期待を持つということ。
なんだか冷えた人間に見えるかもしれませんが
小梅さんも書かれているように
自分を一番大切に守ればいいんです。
自分を守るためには自分以外に期待しないことです。
愛についても
自分が愛したいから愛すだけで
愛した結果相手から愛されようが愛されまいが、本来関係ないはずです。
しかしながら、これだけの愛をあげたからちゃんと返してね!と思いたくなるのは当たり前。そのため、自分のために相手を愛しているのであればちゃんと返してくれる相手を選べばいいのです。
私は私が大事!だからwin-winで向き合ってくれる相手をみつけるの!
とここまで正直に男性を選んでよいのです。
自分を愛し、自分にとって気持ちいい人と人生を歩んでください。自分が一番大切。
質問者からのお礼
西條さま、とても優しいお言葉、本当にありがとうございます。涙が溢れました。
自分をこんなにも守ろうとする人間に成り下がった私は、ただただ卑しくて貧しくて、救いようのない人間になったと思っていました。
もうあんな思いはしたくないし、愛したら、ちゃんと愛を返してくれる人がいいです。やっぱり、幸せになりたいです。
頂いた回答を読んでいるとき、心を上に上にと持ち上げてもらっているような、釘でがんじがらめに固定した重い鎧を剥がしてもらっているような感覚で、「救われた」本当にこの一言です。救っていただきました。
自分のために、行動します。私を大切にしてくれる人と生きていくために、私を大切にします。
本当にありがとうございました。