就職活動で不正を働いたことに対する罪悪感
蓑虫と申します。
よろしくお願いいたします。
相談というよりも懺悔になってしまうのですが、私は就職活動をする中で不正に手を染めてしまいました。
現在私は就活生で、先日学校推薦でエントリーしている第一志望の企業の選考に伴うwebテストを受検しました。テストは自宅から自分のPCで受験する形式なのですが、ここで私は大学の先輩に協力してもらい巷に出回っている解答集から答えをzoom越しに教えてもらいながら解くという不正を行いました。
テスト勉強自体は以前からしていたのですが第一志望ということもあり、何がなんでもテストで失敗したくないという思いがありました。
加えてその先輩からは「解答集を持っているから、webテストの時は手伝うよ」と声を掛けられていました。
結局私は自分の実力のみで受験することなく、他人の力を借りた上に不正を働くという罪を犯しました。
そして今になって激しく後悔しています。受験する前はカンニングに対して罪の意識はありつつもwebテストでコケてしまっては元も子もないと考えていました。しかし今になって自力で取り組まずに不正をして選考を通ろうとしたことに強い罪悪感を感じています。
後々罪悪感に悩むのではという考えもありました。それでも私は目の前の安易な道を選んでしまいました。
先方に罪を告白して選考を諦めるか、それとも罪を抱えながら選考に臨み続けるのか、今度はこの2つの道の前で右往左往しています。
諦めるべきなのは分かっています。自分には挑み続ける資格がないことも分かっています。しかし未だにその企業の内定を得ることを望んでいる浅ましい自分がいます。
「webテストぐらいでそんなに気にするなよ。これから罪滅ぼしのつもりでさらにテスト勉強をし直して、面談では今度こそ出来る限りの準備をして望んで、それで内定がもらえたなら、罪悪感の分だけ人よりも粉骨砕身して働いて会社に貢献すれば良いじゃないか」と誰かに言ってもらいたいというのが本音です。
しかしそんな都合の良い話があって良いはずがないという思いもあり、身動きが取れずにいます。
訳の分からないことを書き綴ってしまいましたが、なにか助言を頂ければと思い投稿させていただきました。
気分を害するような相談内容ですが、何卒よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
社会人に必要なもの
蓑虫さん
おはようございます。
告白するのも辛かったでしょうね…。
、
あなたの友達だったら!
として答えてもよいでしょうか…。
もし私の大切な友達が
そのことで悩んでいたら…と言う設定で答えさせて下さい。
「webテストってテストする方もある程度不正していることは認識してるかもなあ。
結局会社入ってからどれだけ会社の力になってくれるかの見極め。
社会人て勉強できたらいいわけではなくて
いかに会社に利益をもたらすか。
そのためには柔軟であらゆるアイデアを持っていて何としても目の前の問題を打破する子が欲しいと思う。
過ぎたテストは肯定も否定もせず
今は前を向けばいいと思う」
と言うと思います、
なぜなら、私も自分で小さな会社を経営しています。
社員さんはいない小さな会社なので
お恥ずかしいのですが
私が社員を取る立場なら…と考えました。
真面目が売りで
融通が効かず、決められたことを型通りにかちっとこなす人よりも
柔軟性があり
時にずる賢い方法でも前へ進む人と働きたいなあと思うのです。
「これはこうでなくてはならない!」と
ガッチガチの人は
他人にもその正義を押し付けるので
一緒に仕事はしたくないなあと
思います。
蓑虫さんにとって
罪悪が生まれるしんどい出来事だったでしょうが
次から自分が苦しまない方法を取って
いけばよいのではないでしょうか。
そして
その、柔軟性とやる気、
不正してしまったという純粋な心
は持っていて欲しいなあと思います。
あなたの心にそっとしまっておいてもよいのではと思いますよ。
質問者からのお礼
西條瑠真様
ご回答いただき誠にありがとうございます。
決して許されることではありませんが、西條瑠真様のお言葉を読み、今はとにかく前を向いて進もうと決心いたしました。
自分が犯した罪は決して消えませんが、とにかく今後は二度と同じような過ちを犯さないように自分の弱さと向き合い続け、精進していこうと思います。
ありがとうございました。