身勝手な「ヒト」として生きていくのが辛い
よろしくお願いいたします。
動物が道路で轢かれているのをたまに目にする時があります。人間が自分勝手な「その場」の都合でスピードを出し過ぎるから動物たちが犠牲になる…悔しくてなりません。
またペットショップ等で売れなかった動物たちも、こちらも勝手な都合で盥回しにされたり挙句処分される…そんな現実がつらく、自分に何ができるのか日々悩んでいます。今のところ保護団体に寄付しかできていません。
自分で団体を立ち上げたり施設をつくるまでの具体的な行動を出来ていない自分に無力を感じますし、
何言わぬ動物たちに対し、自分勝手な都合で命を粗末にする人間・ヒトの部類になる自分がのうのうて生きてよいのか分からなくなっています。
最近は、命を頂くことになる肉や魚も、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。(よく目や耳にする、解体ショーやつかみどり、活け作りも本当に粗末に扱いすぎると思い、涙がでるほど許せなくなります)やはり同時にそんな「ヒト」として生きてよいのかわかりません。
世界中の動植物達が人間に粗末な扱いをされずに生きていければと願ってやまないのですが、何もしていない自分がめでたい奴に見えて仕方ありません。
駄文になりましたが、どうか御知恵をお貸しいただければと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いただきます、してますか?
そうです。我々は他者から命を頂かないと生きていけない、残念な存在です。ではトラは?大型の魚類は?昆虫がキャベツの葉を食べるのは?
せめて「無駄にしない」「感謝していただく」「自分の行動で他人に何かを与える、命を循環させる」を、心がけることは、あなたにもできると思いますよ。
それを実行するのも、ある程度はできるでしょう。その程度は人によって異なりますが。
「いただきます」は、あなたの命を頂き、私は生きながらえさせていただきます、の意。飼っている魚たちには、「今日も心を和ませてくれてありがとう」と話しかけています。
どこか遠いサバンナで、チーターに捕まって今まさに食べられているシマウマもいるかも知れません。私はそのシマウマを救えないけれど、縁のある魚たちは感謝して接しています。
仏様のお心は大慈悲
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちとてもよくわかります。私達人間はとても愚かな存在です。あなたがおっしゃるような自分勝手で何もわからない存在です、そしてとてもひどいものです。今頂いている命のことにさえ敬意を表すこともせずに感謝もせずに平気で奪っている存在ですからね。
それは私もあなたもあらゆるものが大なり小なり当てはまると思います。
であればこそ毎日自らの考えや言葉や行いを見つめて悪しき考えや言葉や行いについて心から反省し、仏様に心から告白して誠心誠意懺悔すること、そして与えられたこと全てに敬意を表して心から感謝し全てのものごとの尊厳を尊重していくこと、全てのものごとを心から大切にしていくことが必要かと思います。
もし宜しければ毎朝起きてから或いは寝る前に仏様に手を合わせて心から告白して懺悔し感謝してお誓いなさってみて下さいね。
仏様はあなたのその思いや祈りや願いを全て受け止めて下さいます。そして全ての生命やものごとをお救いなさって下さいます。
仏様は大慈悲をもって全てのものをお救い下さいますからね。
あなたが毎日の生活の中であまたのものごとに敬意を持ち感謝なさりながらこれからの未来を心穏やかに健やかに、そして心から豊かに生き抜いていかれます様に切に仏様にお祈り申し上げます。
あなたも慈悲の心を持つことができるのですからね。
質問者からのお礼
=佐藤良文様=
お時間をいただきありがとうございます。
「いただきます」昔は何も考えず、単なるセリフで言っていましたが、今は重い言葉と捉えて毎食申し上げております。
> 「無駄にしない」「感謝していただく」「自分の行動で他人に何かを与える、命を循環させる」を、心がけることは、あなたにもできると思います
…全く仰る通りです。心がけて過ごしていこうと思います。
ただ、未だ物言わぬ動植物を粗末にしているヒトがいるので、そういった現実にどう向き合い、自分に出来ることを考えていきたいと思います。
=Kousyo Kuuyo Azuma様=
教えをいただき、ありがとうございます。
> 今頂いている命のことにさえ敬意を表すこともせずに感謝もせずに平気で奪っている存在ですからね。
…涙がでます。本当に同じヒトとして、反省と懺悔をし続けなくてはいけないと思います。
今の自分に出来ることとして、
これから毎日出来る範囲で、仏様に反省と感謝そして世界の動植物が平和に過ごせるよう御救いくださるよう、お祈りをしていきたいと心に決めました。
ありがとうございました。