遊び惚けていていいのでしょうか?
毎日が日曜日です。遊び続けるのも疲れました。何か生き甲斐とかライフワークが欲しいです。
どうしたら見つかるでしょうか?
私は統合失調症患者です。まだ65歳にならないのに、年金をもらって生活しています。病気のせいで一般的な生活が送れないために、年金をもらっているのでしょうが、最近になってそれじゃ社会に甘えているだけではないか?とふと疑問がわいてきました。また生き甲斐や人生でやりたいことなどが無く、ただ毎日遊び惚けています。精神障がい者でも何かできることがあるんじゃないか?それは何なのか?知りたいです。
性欲 お金への執着 他人と自分をすぐに比較する 他人からどう思われているか気になる 世間の目が気になる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本気になる
こんにちは。
私は、僧侶であることが「生き甲斐」であり、「ライフワーク」です。
また、趣味の範囲内ですがサックスを吹くことも、「生き甲斐」であり、「ライフワーク」です。
前者も、後者も縁があったからこそ、です。
縁とは、「見つかる」ものであり、「見つ」けるものでもあります。
尚、私は両方とも本気で取り組んでいます。
だからこそ、両者とも「生き甲斐」、「ライフワーク」と呼べます。よく出来たら本気で嬉しいし、出来なかったら本気で落ち込みます。
あなたは、「遊び」に「疲れ」ているようですが、言葉を換えると「遊び」に空虚さを感じている、ということなのでしょう。それは、きっと「遊び」にはいつも本気じゃないから出来なくても良い、という逃げがあるからではないでしょうか。本気で取り組めないものには、必然的に充足感も伴いません。
方向性は二つです。
・その「遊び」が何かは分かりません。しかし、それを本気で取り組めば「遊び」でなくなるはずです。例えばゲームも本気になれば、プロゲ-マーになれます。
・「遊び」以上に魅力的な何かを懸命に見出そうとするならば、必ずそのご縁との出会いはあります。そこに「どうしたら」という具体的なハウツーはありません。ただ、本気になれば見えてくるし、出会えるものです。
何れにせよ、本気になるということです。
良いご縁を見つけられるといいですね。
自分の人間性が向上するために遊ぶ。他を利する。
ぬるい坊主には絶対になりたくないと思って今日まで結局まだまだノコノコとグダグダとアマアマのヌルヌルで生きてます。
むかしの坊さんたちは本当に立派な人が多かった。
活きた菩提心のカタマリ。歩くだけで人を救う。
武道の神様もそう。動くだけで武の理に適っている。
ああ、こんなお坊さんがいたのか!いてくれたのか!すばらしい!と「私が勝手にこういう人こそお坊さんだ!」と思う活動をされた人を慕い、足跡のおっかけをしたり、そういう人をさがしてきました。
本山で修行中の頃、禅会に〇田ヌケ作(仮名)という方が出家したいと坐禅会に来られていたのです。ところがヌケサクさんはいつも愚痴と坊さんの悪口ばかりで。もっとこういうことをやってほしい、こうであってほしいと言われるのです。私にはよくわからんかったですが「自分がそうなればいいのに」と思うだけでした。ですが同じ心理は私にもありました。坊さん業界で坊さんたちが坊さんルールに互いに縛られ五人組のような縛られで周りと違うことができないような宗派ロボット僧侶となりつつある中で、私も他の坊さんに理想を求めるようになりました。尊敬する老師の説法会に参ずる中で宗派の現実をぶぅぶぅとぼやくこともありました。「人に求めているうちはだめ。」「あんたが(自分で)やんなさい。」と。💡
本山のカメ仙人(仮名)から聞いた話ですが、🐢私らの頃は正月にはミカンの段ボールの上に立って説法している坊さんがいたもんだ。
なにそれ!?そう。それが大事だ!来てくださる方に法施がなくてどうするのか!私もそんな風になりたい。同じようにやり始めました。煙たがられましたが。
亀仙人はこんなことも言ってました。
🐢私らが布教師の養成所に居た頃、当時、永平寺の禅師さんになると言われていた故楢崎一光老師が本庁に来られてね。せっかくだから布教師の卵たちに一コマお話をしてくれと言われて…、老師は「あんたら布教師というものは…(中略)火葬中に何をやっているのか!どうしてそこで仏法を説かんのか!(# ゚Д゚)世間話でもしとるのか!!」といわれてガーン!( ゚Д゚)となってね…。それを聞いて私もガーン( ゚Д゚)となって「こんなことしちゃおれん」と思うようになったとです。きっかけは人であり、自分が最初から持っている志があって、それに共鳴することに触れることですよ。釈尊の利他の説法教化は遊行という。
質問者からのお礼
本気になれることを見つけるには何でもやってみないとわかりませんよね。行動を起こしたときに、縁によって導かれ、人とのつながりができるのですよね。私は笛や一五一会という楽器ができます。それらが生かせる時間・場所を探してみます。また「一度聞いたら忘れない声」の持ち主だそうで声を褒められたことがあります。なんか方向性が見つかったような気がします。気づきを授けていただいたお二方のお坊さんに感謝します。ありがとうございました。