愛とは何なのでしょうか
ずっと家族から人格否定をされ続け、知人の家へ逃げ込むもモラハラを受けていると相談したものです
私を案じてくれた友人の提案で、2週間前から一緒に暮らしはじめました
彼は知的で優しく、私は今、人生で初めて会話の成り立つ人と穏やかな生活を送れています
ただ、引っ越し費用に以前に親に教えられていたクレジットカードを利用したため、父から「泥棒だ、カードを停止した」と罵るメールが届きました
強姦されそうだったという状況を説明しても、「男の家に転がり込んだのだから自業自得」とのこと
そして「悪い男に唆されてイカれているから、そんなことをする」と着信拒否されました
家族には男性と暮らしてるとは一言も言ってませんでしたが(今回はたまたま当たってる)
昔から思い込みや決めつけのすごい人たちなのです
私としては、夏に同じ方法で家出した際に、まとまった資金を稼げるようになってから返せばいいと言ってたのに(そのときはすぐ返しましたが)と思っています
もちろん、あまり良くないことをしたことはわかっています
ただ、父親は私が困り苦しむことを望み、喜んでいるかのような印象をずっとうけていて、薄寒さを感じています
11月から月に1回程度辛苦のメッセージを送ってしまうことがあったのですが、家を出た私が酷く苦しい境遇にいることを知ると嬉しそうなのです
1度だけ電話してしまったときは楽しそうに笑いました
母はどんな言葉を送っても父親に言えとだけ返信してきます
私が不思議なのは、彼らは自分たちはとても娘を愛していると心から信じていることなのです
そして、自分たちは生まれつき頭のおかしい娘の被害者だとも信じ切っているのです
誰とどこで暮らしていても興味がないし、強姦されそうになろうが何も思わないし、傷ついてほしくないと言う気持ちすらわかないのに、なぜ愛してると確信しているのでしょうか?
いっそ絶縁したい気持ちはありますが大学を目指すという選択肢のことを思うと、遺産を放棄するわけにもいきません
いっそ、「お前ほど酷い娘はいない。愛想が尽きた」、「全く愛していないし気に食わないので、お前のためには1円も使いたくなかった」と過去に言ってくれていたら
どれだけ私の心は楽になったか、時間を無駄にせずに済んだか、と悲しくなります
彼らが私を愛してると心から思っているゆえ、私は悩み続けました
愛とは何なのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「愛」を整理してはいかがでしょうか
こんにちは。
過去のご質問も拝見し、今回も拝見しました。
親子関係で複雑なやり取りがあるようなので、外部の者があまり断定したことは言えないと思っています。
ただ、「愛とは何なのでしょうか」という問いに、参考になればと思い回答します。
かく言う私も不案内ながら、「愛」には大きく分けて二つの方向性があると思います。一つは、自分への「愛」と相手への「愛」です。つまり、簡潔に表現すれば「愛」とは幸福になりたい気持ち、幸福にさせてあげたい気持ちなのだと考えています。
人間ですから、どちらかが100%ということはありえません。自分も大切だし、相手も大切。そこにどれくらいの割合で「愛」を振り向けられるかにその人らしさがあります。
ハスノハの相談を見ていると、この極端な振れ幅があるほど苦しむ、という傾向があるように私は思います。それは、相談者ご自身がそうである場合、自分ではなく身近な人がそうである場合です。
例えば、不倫は極端に自分への「愛」が強い当事者が引き起こします。パートナーへの「愛」に満ち溢れた人が不倫するのを聞いたことがありません。
DVや虐待も同様です。極端に自分への「愛」が強い当事者が、相手をその願望を叶える手段として酷使するケースです。これを本人は無自覚に「愛」と呼ぶでしょう(本人が意識できていないのが厄介ですが)。ただし、それは多分に自己「愛」であり、相手の幸福を考えた最大公約数としての「愛」ではありません。
また、相手への「愛」に極端に偏って、自分への「愛」が少ない場合も問題になります。相手に尽くしたり、好感を得ようと気持ちを捧げる(これを「愛」とするけれど)、逆に自分の気持が分からなくなる、自分を大切にするということが分からなくなる、という問題を時々散見します。
一度、身近な人の、ご自身の「愛」とはどういう意味での「愛」なのか。整理をされてみてはいかがでしょうか。
お大事に。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます
家族たちは私抜きでも頻繁に些細なことでいがみ合っているので、今回のお返事の、自己愛が100%に限りなく近いとしか思えません
私自身は偏ってはいるものの、彼らよりは他者への愛を持ち合わせているつもりではあります
してほしくないことをしない、してほしかったことをする、そんな当たり前のことを家族に向けても、大きく穴の空いたバケツに水を注ぎ続けるような結果しか得られず、とうとう離れたからです