親切を上手に受け取るには
こんにちは
いつもこちらのサイトを拝見しています。
今日は初めて質問させていただきます。
人としての姿勢、について思うことがあります。
必要以上に謙虚になったり、臆病になったりすることはない、とよく聞きます。そういった人間は人からの信用を得ることができない、とも。
実は私はそういう人間なんじゃないか、と思います。
というのも、私は人から親切や厚意を受け取るのが昔から苦手なのです。
親切にされると、恐縮してしまいますし、申し訳ないと思ってしまいます。
友達から何かをプレゼントされたら、喜ぶよりも先に「申し訳ない」と思ってしまうのです。
優しくしてくださる相手に下心があると疑うことはまずありません。
親切にされると、「なんて優しい人だろう、こういう人になれるだろうか」と思います。
しかし、同時に「気を使わせてしまった、もっとこうすれば良かった、申し訳ない」の罪悪感に襲われてしまうのです。
そして、「相手に何を返したらいいんだろう」と思ってしまいます。
もっと前向きに、人からの優しさを受け取れる人間になりたい、と思っています。
謙虚になりすぎず、恐縮しすぎないようにするために、心に留めておくべきことなどございましたら、ご教授いただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有難うの気持ちが大事なことです
拝読させて頂きました。
そう思うことってよくありますよね、ものを頂いたり親切にされたりしたら恐縮してしまって何かお返ししなければならないと思考してしまいますよね。それは世の習いですからどうしても習慣性があるのでそう思ってしまう気持ちが大なり小なりあるものです。あなたのお気持ちとってもわかります。
とはいえ本当はそのようにして頂いたことをこころよく受け取ることが大事なことだと思います。
仏教の行には「布施」(ふせ)という考えがあります。それは自ら施したことに決して見返りを求めないことです。見返りを求めてしまった段階で「布施」ではなくなります。単なる物々交換・ギブアンドテイクです。
極論ですが、何かを施したり、何かをして差し上げたとしても決してその方からの「有難う」の感謝を求めないことです。逆に何の感謝もされなくても善き行いをすることが布施です。感謝されることを求めてしまったら布施にはならないのです。ですから人から感謝されようがされまいが善行を行い、自らの徳(功徳)を積んでいくことが善いのです。つまり自ら善き行いをしていく段階でその徳が自らに戻ってきているのです。ですから「有難う」の感謝も様々な御礼もいらないのです。或いは結果的に付いてきたというものなのです。
社会では常にギブアンドテイクを求められてくるのですが、本来的にはあまり考える必要はないと思います。直ぐに何かお返しするということはその施しを返してしまうということです。その人が本当に困った時や必要に迫られた時に助けてあげたり支援してあげる方が本当は喜ばれることですし価値のあることです。
いかがでしょうか?ちょっとゆっくりとお考えなさってみて下さいね。「有難う」その感謝のお気持ちが大切なのですからね。
言葉を換えれば、イメージも変わる
なぜあなたがこのようなことに陥るか。
それはひとえに、
『謙虚の意味をはき違えている』からです。
あえて厳しい言葉を書きますが、これはただ“知っているかどうか”と言う問題なので、重く捉えずとも、この言葉に同意できるかどうかだけを考えればよいです。
実はあなたの状態は“謙虚”ではなく、“卑屈”と呼ばれるものであり、中身を見れば“傲慢”に属するものです。
「そんなことないですよ」
という言葉があります。
「あなた、奇麗ですね」
「そんなことないですよ」
このやり取りは、まるで“謙虚”かのように見えます。
しかし、少しシチュエーションを変えてみましょう。
「この夜景、奇麗ですね」
「そんなことないですよ」
この言葉は“美的センスの否定”です。
でも、上の言葉と何が違うのでしょうか?
実は、何も違いません。
“誉め言葉を否定する”と言うのは、自分が謙虚に見せるために相手の美的センスを否定するコミュニケーションなんですね。
これはプレゼントも同じです。
相手が用意したプレゼントを受け取ることを渋れば、それは相手のプレゼントが気に入らないという意思表示を含むことになります。
コミュニケーションの基本は“相手が”どう思うか、です。
自分がどう思うかではありません。
客人を心からもてなそうとも、相手が気に入らないのなら、それはおもてなしにはなりません。
逆に、自分がいくらいい加減にやろうとも、相手が喜んでいるならそれはよいコミュニケーションなのです。
何故臆病になるのか。
それは『自分中心かつ、相手を過小評価』しているからです。
『自分はプレゼントをもらうに値しない』と考えれば、それはつまり、
『自分のような者にプレゼントを渡すあなたはセンスがない』という意味を含みます。
それは、自分がどう思うかに関わらず、含まれてしまうのです。
あなたは言葉を変えた方がよいでしょう。
『謙虚になりすぎない』だと、“謙虚”と言う良いものを減らすイメージになります。
しかし実のところ、あなたは『知らず知らずのうちに傲慢になっているところを直す』必要があるのです。
そして、何かを貰った時には誠心誠意をもって、喜ぶ姿を見せることです。
質問者からのお礼
けいじょう 様
早速のご回答、本当にありがとうございます。
謙虚ではなく実は傲慢であるというお話、とても納得しました。ちょうど最近、自分は自己中で、傲慢な一面がある、と自覚したところでしたので、質問させていただいた内容もそんな一面の表れなのだ、と理解することができました。
自分がどうこう、ではなく、相手がしてくれた気持ちをもっと大切にしていけたら良い、と考えることができました。
相手から何かをしてもらったとき、恐縮せずに素直に感謝できるようになれそうです。
お忙しいところ、ありがとうございました。
Kousyu Kuuyo Azuma 様
早速のご回答、ありがとうございます。
そうですよね。
こころよく受け取れるようになりたいな、と思い、最近は素直に「ありがとう、嬉しい」といただくのですが、これまでの性格のせいか、いただいた後に「本当に良かったのだろうか」と悩んでしまうことがあり、質問させていただきました。
すぐには性格は変えられないと思いますので、ゆっくり変えていけたらと思います。
また、お布施のお話、とても分かりやすかったです。私も、何か人にできることがあったら、見返りを期待せずできる人間になりたいと感じました。
お忙しいところ、ご回答くださり、ありがとうございました。