人に期待しない人生とは
他者との関わりがとても苦手です。
大きなトラブルが起きたことはありませんが、一つ一つを考えすぎてしまう所があり、それによって情緒が不安定になります。
内面的なもので、人にぶつける事はありません。
例を挙げると、他者との交流の中で、悲しく感じる出来事や怒りを感じる出来事に度々遭遇します。
その際に相手の行動の意図を理解したいと考えすぎてしまったり、そのような行動を自分自身も過去とっているのではないか、また似たような経験を思い出して自己嫌悪に陥ったりして疲れてしまいます。
その対策として、今は人に期待しないように心がけています。
そうすると色んな出来事に対して割り切れるようになりました。
物事や人間関係において、自分にとってマイナスな感情を生む可能性を感じると、もういいかな、と断ち切ってしまいます。
ストレスもありませんが、同時に他の感情を経験する事も減りました。
人に期待しないようにすると、全てが自己完結になってしまっているような気もしています。
人に頼る事も心の中を打ち明ける事もありません。
私は人に期待しないという意味を履き違えているのでしょうか。
そうでなければ、人に期待しないという生き方は間違っているのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の心は自由か?
“他人に期待しないこと”と“他人に関わらないこと”は似ているようで少し違います。
他人が自分に何かをしてくれなくても、他人の姿に自分が勝手に感動することはできます。
スポーツ選手や歌手の方々は私のことを知りませんが、私は勝手に彼らから勇気を貰えるのが証拠です。
あなたは『他人に期待しない』と言いながら、その実、
“自分を不愉快にしないこと”を期待しており、
それが満たされそうになければ『断ち切る』という風におっしゃっているように見えるのです。
私も人には期待しません。
ただ、「何をすればこの人の役に立てるだろう?」と考えることはあります。
役に立つのが楽しいからです。
今この文章を考えているこの瞬間もそうです。
あなたがこの文章を読んで、何か気付きを得てくれればラッキー、あなたでなくても、誰かの目に留まれば嬉しいし、何もなくても文章の推敲と、お悩みに対して“どう答えるか”を考えること自体が楽しいので、妻から『趣味のHasunoha』と呼ばれています。
実際、答えているのは趣味だと思います。
あなたがどうあろうと、あなたの質問で私は勝手に楽しみ、喜びを得ています。
他人の評価を気にせず、自分の心に正直に生きること、それが“他人に期待しない”ことなのです。
いつの時も、自分の心に『自由であるか?』と問い続けると、期待しなくて済んでいるかがわかりますので、ぜひやってみてください。
まあ、カッコつけましたが、『有り難し』が多いのも嬉しいのでぜひ押してくださいね。
質問者からのお礼
いまいち自分でも理解する事が出来ていなかった思考を整理する事が出来ました。他人の評価を気にせずに自分の心に正直に生きること、大変分かりやすいです。こちらを心がけて生きていこうと思います。