先に進む勇気と自信がないです
現役歯学部生です。私は医学部受験で多浪をし、その末に歯学部に入学しました。私自身歯学部に入学するにあたり歯科医師を目指すと覚悟を決め、この一年間できる限りの努力をしたつもりでしたが、私の努力が足らず一年目にして留年が決定してしまいました。学費を払ってくれている親や応援してくれていた人たちには本当に申し訳ないと思っていますし、この一年の自分の行動を思い返しては「どうしてもっと結果を出せなかったのか」、「あの時もっと勉強できなかったのか」と自分を責めては深く反省しています。
留年が決まってから、改めて幼い頃からメンタルも弱く、勉強に関して何にも才能を発揮できない自分に腹が立って何日間も涙が止まらなくなりました。「こんな自分が生きていて良いのか、生きていても親の迷惑になるだけなのでは」と何度も考えました。「死んでしまって全て終わらせてしまいたい」とも。
しばらくして「いつまでもネガティブな思考ではいけない」と自分なりに冷静に考え直しました。その末、正しい判断かどうはは分かりませんが、自分自身でその結果をしっかりと受け止め「もう一度チャレンジして歯科医師免許を取ること」が私が今できる1番の責任の取り方なのではないかという考えに辿り着きました。なかなかに自己中心的な考えであるとは理解しているつもりです。
両親にこの考えを伝えた結果、本当に有難いことにわがままな私の選択を両親は受け入れてくれ、留年が決定しましたがいざ留年するとなったら自信がなくて「仮にまた一年努力して同じ結果だったらどうしよう」と考えてしまう自分が嫌いです。
自分で決めた道なのに。親が応援してくれるという非常に有難くて贅沢な環境なのに。その環境に置いてもらえている事に本当に感謝しているつもりなのに。自信を持って「新しく一年頑張ろう」と思いきれない自分が嫌です。こういった場合はどのような気持ちで過ごしたら良いのでしょうか。
読みにくく、変な質問で申し訳ありません。
1人で考えていても埒が開かず、自己嫌悪に駆られるだけの毎日でしたので、何かお言葉をいただきたく投稿させていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もう一度、御自分に率直なお気持ち尋ねてみて下さい…
伺います…本当に医師(歯科医師)になりたいのですか? 本気ですか? 今後6年間勉強並びに実習・研修に打ち込めますか…?
『いきなり、冷たい問い掛けしてきて何?』とお感じなったでしょうか…。
でも、どうぞ御自分にその問いを投げ掛けてみて下さい。どんな答えが返ってくるでしょう。どんな返答をしますか。
『歯科医師を目指すと覚悟を決め、この一年間できる限りの努力をしたつもりでしたが、私の努力が足らず』…問いの最初の方からお辛そうなのです。ですから心配なのです。
そもそも医師になりたいのはなぜだったのでしょう。そして多浪したから歯科医師になろうとしたのはなぜですか。聞かれたくないことかも知れませんが、少なくとも御自身にはっきりとした答えがないと、今後の厳しい学業に耐えられないのではないかと想像してしまいました。
かく言う私も、かつては医学部を目指し、でも受験もせずに諦め、結局 違う学部に進み、楽しそうと思った会社に就職できたのは良かったのですが、能力が足りず5年ほどで自己都合退職しました。そして結局一番縁の深かった、いえまあ何とかなるだろうと 寺の生まれであったことから、僧侶にでもなるか…と考えたのです。
僧侶を目指したときに20代半ばでしたが、既に「人生終わった…」と思っていました。そして当時は「余生」と言っていました。
でも、失意の中進んだ仏教の専門学校で「おお、これはスゴイ! こんな自分が生きていける教えがあるんだ。どうあっても他人様に伝えなきゃ!」と本気で思ったのです。その後の人生については略します。
こんなことをあなたに申してはいけないのかも知れませんが…ただ、あなたには歯科医師になる以外の道も開かれています。
今更そんな…いえ、「今 真っさら」になって考えて良いのです。
少なくとも『死んでしまって全て終わらせてしまいたい』なんて考えるのは止めて下さい。なぜなら、そんなふうに考える必要は無いからです。
一度、別な道に進むのもアリなんですよ。ラグビーや柔道選手、宝塚歌劇団から医師になる、なった方までいるのです。40歳過ぎて医学を目指すお方だって少なくないのです。
伺います…あなたはなぜ(歯科)医師を目指すのですか? それは本当にあなたの進みたい道ですか? 別にやってみたいことはないですか?
仏様は、あなたに寄り添い続けて下さいます…。
「才能」「自信」よりも、努力と工夫を
こんにちは。
「親が応援してくれるという非常に有難くて贅沢な環境」という一文に、あなたの思いが表れています。是非、その恩に報いたいものですね。
注目したの以下の2つの文です
・自信がなくて「仮にまた一年努力して同じ結果だったらどうしよう」と考えてしまう自分が嫌い
・自信を持って「新しく一年頑張ろう」と思いきれない自分が嫌
あなたは、先ず自信が芽生えて盤石になったら、いい「結果」が出るに違いないと思っているように見えます。最初から自信がある人はいません。努力が「結果」に結びついた実績と実感が「自信」になります。だから、あなたは「自信」が現段階でなくて当たり前なのです。
あなたがいますべきことは、今無くて当然の「自信」(或いは「勇気」)を躍起になって芽生えさせることではありません。「結果」を出すひたむきな努力と工夫が必要です。
「勉強に関して何にも才能を発揮できない自分に腹が立って」と書いています。あなたは、今一日にどれくらい勉強していますか。寝食、風呂以外は勉強するぐらいになっていますか。学生で学費が確保されているならば、多少のバイトが有っても一日勉強にいくらでも当てられるでしょう。結果が出ないのは「才能」のせいではありません。「才能」のせいにしているうちは、努力と工夫が足りないことを疑ってみるべきです。
わからないことがあったら、先生に尋ねる。
または、インターネットにはいくらでも、勉強のハウツー、資料があります。20年以上前の学生にとっては羨ましい限りの環境です。
そういった工夫をやっていますか。
「自己嫌悪に駆られるだけの毎日」、「自分に腹が立って何日間も涙」する時間があるなら、その分を集中して努力と工夫に振り向けてください。必ず「結果」はついてきます。そして、ご両親を喜ばせてあげてください。
質問者からのお礼
非常に丁寧かつ優しいお言葉をどうもありがとうございます。
お返事をいただいてから、改めて自分の本心と向き合い「自分は本当に歯科医師になりたいのか」について考えました。分野が全く異なる他の道も色々と考えてみましたが、やはり私は「歯科医師になってやりたいことがあるから、どうしても歯科医師になりたい。ここで諦めたくない。」と強く思いました。同時に留年という結果が出てから数日間は食事が喉を通らない程に落ち込んでいたこともあり、死にたいとしか思えない状態でしたが冷静に考えた末、「両親に1つも恩返しを出来ていないのに死んでしまうとは我ながら情けない。それこそ親の恥になる。もう少し生きて、親に1つでも恩返しなくては」と思うようになりました。
また、自分自身が努力や勉強ができないのを才能のせいにしているつもりはなかったのですが、今回のお言葉をいただいて「自分は成功体験の少なさから来る自信の無さや、良くない結果を受け入れることへの恐怖から、無意識の内に『才能』という言葉に逃げていたのではないか」と気付くことができました。今更なことではありますが、この気付きを蔑ろにせず、自分の弱さともしっかりと向き合っていきたいと思います。この気づきを与えて下さったことに大変感謝しております。ありがとうございました。
正直私は今まで出来る限りの時間を勉強にあてているつもりでした。しかし、今のような現状がある限り勉強の量と質に関して100%改善の余地があると自覚しています。なのでこれからはお坊様がおっしゃっていた様にインターネットなどを利用し、勉強の方法などを工夫し努力したいと思います。
私にとって留年という事実は非常に悔しいことではありますが、この悔しさをバネに今以上に勉強できる時間を自分で見つけ出し、来年こそは両親に良い結果を伝えられるようにしたいと思います。