取り返しのつかない罪とは
この世に取り返しのつかない罪は本当にあるのでしょうか?私は一回だけずいぶん前に飼っていた犬を殺したかもしれないと思っていて、神様、仏様がお許しなるまでは罪を償うと願っています。一応言っときますが、痛みを与えるような虐待などはしていません。でも、母が獣医さんに私がやってしまった事を話したら「貴方の娘さんは虐待と一緒ですよ。」とものすごく怒られたらしいのです。今時点で罪を償えているのか不安です。
もし、自分が、悪い事をしたとして、神様、仏様が地獄に落ちなさいと言われるのなら、素直に受け入れるようにしています。 誰かに死ねとか言われても、自分が死んでいい人間なら誰かに命をとられてもいいという思いで生きてます。一応、自分は六道がかっこいいと思っておりまして、親にも理解されてませんが、自分はそういう性格です。
自分自身、自分の煩悩をよくわかっておりません。ですが、自分に確かに煩悩があるとするならば反省する道に神様、仏様に導いてもらおうという気持ちしかありません。
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そもそも「罪」を「罪」として認めているのでしょうか
こんにちは。
整理します。
そもそも「罪」自体を自覚しているのか、していないのかが読む側には分かりません。「獣医さん」から、あなたの「犬」に対する行為が「虐待と一緒」と指摘された。「ものすごく怒られたらしい」と書いているということは、一緒に病院に行かなかったのでしょうか。
あなたはこう言っています。
「一応言っときますが、痛みを与えるような虐待などはしていません」と。よく状況が分かりませんが、では直接「痛みを与え」ていないけれど、他に「虐待」に心当たりがあるような行為があったのですか。
そもそも「虐待」したと思っているのですか。
していないと思っているのですか。
どちらでしょう。
文章を読んでいると、「痛みを与えるような虐待などはしてい」ないけれど、心のなかでは薄々「犬を殺したかもしれない」と気づいている。だから、これは「罪」ではないかと思うけれども、でも「虐待」はしたつもりがない(以下、繰り返し)というとても中途半端な現状認識に聞こえるのです。
ですから、「取り返しのつかない罪はある」のか、ないのか以前に、あなたは自分の「罪」を「罪」として認めているのか、そのものが問題です。「罪」をあやふやにとらえているのに、「罪を償」うことはできません。何の「罪」を「償」う分からないのに、「償」うことは不可能だからです。だから、「今時点で罪を償えているのか不安」になるのでしょう。
あと、「神様、仏様がお許しなるまでは罪を償う」とも書いていますが、「神様、仏様」というのはあまりにざっくりしすぎています。特定の宗派、宗教から始めないと具体性がありません。例えばキリスト教の神様と、仏教の仏様では教えと文化的背景が全然違います。
質問者からのお礼
すいません、結構心が乱れてしまいました。
母にも相談したらそれは貴方のせいで死んだんじゃないんだよ。結局病気で死んでしまったんだと聞きました。死ぬ前の飼い犬を最後までちゃんと見届けました。