仏や神の教えを信じれなくなりそうです
母や父の周りも住職さんや僧侶の知り合いが多く仏教の教え等胸に刻んで生きてきました。この世は修行の為にあり、体は借り物のため物事に執着をあまりせず、人には優しくし困った人には施しを行い、ご先祖様や神様仏様は見えずともいて彼らを敬い粗末にしてはいけない。
人にしたことは必ず自分に返ってくるから見返りは求めずに善行を積みなさいと教えられ生きてきました。
最近度重なる不幸が続き、この世が修行だとしても心が折れそうです。
善行を詰んでいたのは無意味だったのではないか。
私だって人に施したり助けたりではなく助けられたい、甘えたい。
会社でも善行の積んだおかげか、ある程度の地位に若くしてなることができましたが。頼られることはあっても頼れることは少なく、人生修行の一環だとしてもこんなに辛いならなんの為に教えに沿って生きてるかわからなくなりました。
理不尽にもほどがあり、こんなに理不尽続きならもうなにもかも諦めて投げ捨ててしまいたいと思ってます。
それでも修行の一環は続くのでしょうか。仏様や神様の教えにしたがってた私は何一つ報われないのでしょうか。辛すぎます。
なにか少しぐらい救われたっていいのではないかと悲しい気持ちに負けそうです。
お坊さん方はどのようにこの様な気持ちを乗り越えたりするのでしょうか。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悩み苦しみを消したり制御したり
仏教は、悩み苦しみの原因を消したり制御したりして、悩み苦しみを消したり制御したりするテクニックです。
悩み苦しみの原因とは煩悩です。
仏教の修行は、真理を悟って煩悩を消すことや、煩悩をコントロールするための訓練です。
たしかに他人への布施(見返りを求めないサービス)も上記の修行のメニューの一つです。
しかし、見返りを求めない、執着を手放すということが重要なので、苦しみをガマンすれば良い報いが天から与えられるとかは違うのです。
自分自身の欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩コントロールできればストレスは減ります。
また、苦・無常・無我の真理を悟れば煩悩が消える(減る)のです。
人生を闇雲にボーっと苦しむだけでは修行になりません。
生きものには必ず苦しみ(宿題)があると悟り、苦しみの形に執着しないようにすることは修行になります。
生きているかぎり苦しみは無くならない。ただ、瞬間ごとに苦しみ(宿題)の形が変わっていくだけです。
苦しみの変化スピードに思考と気分がついていけない場合に辛く思うことがあります。
瞬間ごとに新しい苦しみ、つまり瞬間ごとに新しい自分に生まれ変わっていると思って、「今・ここ」の現実を新鮮な心で観察しましょう。
悲しい気分になったときは、「悲しみは怒りの煩悩の仲間、つまり自分の怒りの煩悩による苦しみであり、他人はあまり関係ない。」「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩。煩悩が悩み苦しみの原因。」と念じましょう。
お気持ちお聞かせ下さいね
拝読させて頂きました。
あなたが今まで仏教の教えを信じて一生懸命に人に施しながらがんばっていらしたことを読ませて頂きました、そして今あなたの心は折れそうになっていらっしゃることを読ませて頂きました。
あなたが今どの様なことで追い詰められて苦しんでいらっしゃるのか詳細にはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
宜しければあなたのその辛いお気持ちや苦しみや報われない理不尽だと思われることをここでもおっしゃってみて下さい、オンラインでも個別でご相談することもできますので、今あなたが抱えているお気持ちやその辛い立場や状況についてもゆっくりお聞かせ下さい。
あなただけで抱えて自分を追い込むのではなくここでもあなたのお気持ちを私達にお聞かせ頂き、できるだけ分かち合っていきましょう。あなたは決して独りではありません。あなたも仏教を学んで進んで実践なさっていらした方でしょうからね。宜しければここでもご仏縁を結びながら私達とのご縁を結んでいきましょう。そして共に生き歩んでいきましょう。
或いはここだけではなく様々な方々にもあなたのそのお気持ちをお話しなさってみて聞いて頂きながらご相談なさっていきましょう。
あなたを心よりお待ちしております。
質問者からのお礼
ありがとうございました。うまく感情がまとめられないのですが、お二方のお陰で冷静に分析し直す気持ちと、誰かに寄り添って頼れるんだという温かい気持ちになりました。少し立ち直れたので、もう少しまた気持ちが傾いたら直接相談させてください。正気に戻してくれてありがとうございます。