心が真っ黒になるときがあります
私は時に心が真っ黒になるときがあります。
それは家族に大事にされている人を見たときです。
私は人格障害の疑いがある母親に育てられ、父親は優しい人ですが仕事であまり家にいない人でした。
産まなきゃよかった、失敗作だ、など言われ暖かい家庭ではありませんでした。
私は人に対してとても極端な感情をもってしまいます。
自分のように複雑な家庭で育った人は全力で助けてあげたくなります。できることならなんでもしてあげたいと思います。
逆に普通の家庭で大事にされてきた人たちをみると、真っ黒な感情が湧いてきます。甘やかされあがって、守られて育ってて本当の苦労も知らない、いつか痛い目に遭ってみろ、など相手が悪い人な訳ないのにそんな感情が湧いてきて自分でも怖いです。
もちろんそんな言葉を口に出したり、何かアクションを起こしたりということはしていません。
この真っ黒な感情がざわめくのはどうしたら抑えられるでしょうか。自分で自分が怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
黒い感情は、あなたのせいではない
ひなひな 様 相談ありがとうございます。
まず、あなたがいう真っ黒な感情は、おそらく、母親の愛情に包まれた人を見た時、自分の辛かった過去を思い出し、比較して、闘争の状態になり、出てくる感情かと思います。実はこの闘争の状態は誰でもなります。自分が生きていくうえでこのような感情に入らなければいけないと、意識しないで習得したのです。
ですので、闘争の状態からくる黒い感情は、あなたのせいでもないし、あなたが悪いのではありません。人間の本能的な自然な感情です。
でも、その状態では生きづらく、人と争うこととなります。(あなたは心の中で争っているようですね。)
また、あなたはこれまでの成長の過程で、自分に優しさや思いやりを向けることが「甘やかし」と思い込んでしまっているように思います。これも致し方ないことで、自分を責める必要はありません。あなたは全く悪くありません。
ですので、大切なことは、優しさや思いやりで包まれて、心を安らげることです。
瞑想的にイメージしてみてください、もし安心安全で癒される場所で、優しさに溢れる人に包まれたとしたら、あなたはどんなにか勇気が湧いて、心が落ち着いていられて、自分に責任を持ちながら、寛容でいられるか。そして多くの人と笑顔でいられるか。
つまりこんなイメージを想像し瞑想することによって、「甘やかし」でもなく「黒い感情」も湧くことはなく、誰にでも分け隔てなく、思いやりを向けて付き合えるようになっていくでしょう。
このような慈悲の瞑想など方法がありますので、優しさや思いやりを育んでいくことが、一番良いことかと思います。
さらに、愛着障害について参考書を上げておきます。
岡田尊司著『愛着障害(子ども時代を引きずる人々)』(光文社新書)です。
参考までに。
追申:お礼メッセージと、おきもち、ありがとうございました。安らげるとか、感情が楽になるということが難しい時は、どうぞ遠慮なくご相談ください。この度のご縁に感謝申し上げます。あなたが幸せになりますように。合掌礼
質問者からのお礼
釋様
早々の回答ありがとうございます。
黒い感情は私のせいではないという言葉に心が少し軽くなった気がします。
黒い感情がなくなり誰にでも分け隔てなく、というのは私の理想です。理想に近づけるようなアドバイスありがとうございます。
本も早速読んでみたいと思います。
また相談させていただくことがあるかと思いますがその時はよろしくお願いします。