hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

どういう振る舞いが正解でしょうか

回答数回答 2
有り難し有り難し 30

最後は死ぬというのが分かり切っているのに頑張る意味が分かりません。
なので自殺しようと思ったのですが、できませんでした。

頑張れば自殺できそうなのですが、そもそも頑張らないために自殺をしようとしたのに、頑張って自殺するというのが間違っていると思ったので、やらないことにしました。

このまま何も頑張らずに、寿命が尽きるのを待てばいいんでしょうか。これあとどのくらい続くんでしょうか。今20代なのですが。60年くらいですかね?もっと全然早いかな?

でもどういうわけか意味が理解できないことを自発的にできないんです。そして今は、運がいいのか悪いのかこんなことを言いながらここに書き込みをしていても許されるというよりはばれない状況にあります。この状況が持たなくなるのを待てばいいんですかね?自分からこの状況を抜け出すというのはいろいろ試してみましたが、何というか上の文章と同じ論理で自発的にできないみたいなんです。

こんな人間は一体どういう考え方でどういう振る舞いをするのが正解なのでしょうか。

無茶苦茶なこと聞いてるしさっさと死ねよと思われるのも当然のことかと思いますし、現に一度もこのような話題を匿名ですら、他人様と共有したことはありませんでした。

でもお坊さんなら何か答えてくれるのではと思い、質問してみました。よろしくお願いします。

2022年4月16日 22:22

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今日という日は

こんにちは。

「現に一度もこのような話題を匿名ですら、他人様と共有したこと」がない、と書いています。今回が、その「共有」の一回目だということなのでしょう。「お坊さんなら何か答えてくれるのでは」という気持ちに応えてみたいと思いました。

私は、今回あまり長々と文章を書かない方が良いと思いました。
どちらかというとあなたは理詰めでものを考える人のようです。理詰めに理詰めで答えると、その延長上で次の理詰めが始まります。これは、効果的な応答ではないと判断します。よって、シンプルな事実を一つ伝えますから、あなたの方で色々感じるなり、考えるなりしてください。

過去に聞いた印象的な言葉です。

今日という日は、亡き人が生きたいと切に願った一日である。

病に冒され、災害に見舞われ、戦火に遭って、どれだけ生きたいと思っても叶わなかった。
やりたいことがまだあった。
家族ともっと一緒に居たかった。

今日も他ならなぬその一日です。

その先立った人から見て、あなたの言葉はどう聞こえるでしょう。

「このまま何も頑張らずに、寿命が尽きるのを待てばいいんでしょうか」
「頑張れば自殺できそうなのですが、そもそも頑張らないために自殺をしようとしたのに、頑張って自殺するというのが間違っていると思ったので、やらないことにしました」

想像してみてください。
あなたがどう受け取るかは、お任せします。
そもそも「正解」なんて必要あるんでしょうか。

追記
返信ありがとうございました。
「もう少し考えてみよう」との事なので、時間をかけてみてください。

受け取り方が主旨と大分違う方向に行きそうなので断っておきますが、「呪い」とか「亡き人の圧力」という意味は全く有りません。

有体に言えば、あなたは今日という1日の価値を分かっているか、という問いかけを私はしたつもりです。

一度仏教の入門書を読む事を勧めます。仏教について先入観と固定観念があるように感じます。

2022年4月17日 9:08
{{count}}
有り難し
おきもち


釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

ほんの一握りの人しか知らない宝物

世界中の人々の中で、ほんの一握りしか知らない宝物があります。
それはお釈迦様が発見した仏教の真理です。
こんな面白いものは他に無いと思える可能性があります。
ぜひ、仏教について調べてみてください。
社会生活なんか適当で良いのです。
この命は仏教と出会うためにあったのだと思えたら幸せです。
追記
まずは基本的な仏教用語をネットで調べてみてはどうでしょうか。
「日本テーラワーダ仏教協会 心を育てるキーワード集」というサイトなど面白いです。
ウィキペディアでも結構参考になります。
あと、「ブッタとシッタカブッタ」という漫画は仏教用語を知らなくても楽しめます。
経典を日本語で読みたい場合、岩波文庫の中村元の著作は有名です。大パリニッバーナ経(ブッダ最後の旅)など多数あります。

2022年4月18日 2:47
{{count}}
有り難し
おきもち


がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は、「こんな人間は一体どういう考え方でどういう振る舞いをするのが正解なのでしょうか。」という質問をしました。
それに対して、シンプルな事実である「今日という日は、亡き人が生きたいと切に願った一日である。病に冒され、災害に見舞われ、戦火に遭って、どれだけ生きたいと思っても叶わなかった。やりたいことがまだあった。家族ともっと一緒に居たかった。今日も他ならなぬその一日です。」という指摘と、「その先立った人から見て、あなたの言葉をどう聞こえるでしょう。」という言葉をいただきました。

やはり、生前生きたいと願っていらした亡き人にとっては腹立たしい言葉になっていると思います。
これはつまり、生前生きたいと願っていらした亡き人を怒らせないようにこんなことは考えるべきではないというお叱りということなんでしょうか。
それともあるいは、生前生きたいと願っていらした亡き人の圧力というかプレッシャーというかもはや呪いみたいなものを感じながらそれにおびえてビクビク生きるべきであるという提案なんでしょうか。
それともなんか感謝とかそういうのと結びつけるべきなんでしょうか。

もう少し考えてみようと思います。

重ねてご回答ありがとうございます。

願誉浄史先生
ご回答ありがとうございます。

私が赤ちゃんの時、私の人格は私の両親の遺伝形質とそれらの偶発的な組み合わせ、母体環境との相互作用で規定されていたと思います。そして、赤ちゃんの私に当時与えられた外部の影響を生まれた時点で規定されていた赤ちゃんの私の人格ができる範囲の解釈、反応を通して経験、記憶という形で保存、改変、再解釈を無意識に繰り返し、時間が経過し、体が成長し、幼児期の私の人格が規定されていたと思います。そして小学生になるまでに、より複雑になりますが同じ形式の過程を経て小学生の私の人格が規定されていたと思います。そして、中学、高校、大学、現在と上がるにつれより加速度的に複雑性が増していくものの、根本的には同じような人格の規定のされ方がなされていたし、これからもそうなのだと思います。

現在の私は特に生きたくもないし努力してまで自殺する気にもならないというような状態にあります。そんな中で、「こんな人間は一体どういう考え方でどういう振る舞いをするのが正解なのでしょうか」というかなりばかげて見える質問をお坊さんに質問できるというサイトであえてしてみました。その結果回答者様のお二方とも、仏教について調べるようにと勧めてくださいました。ですので、一旦「仏教について知りたいという考え方で、仏教について知ろうとするという振る舞い」をしてみたいと思いました。

もしよろしければ、ずぶの素人向けのおすすめの書籍などありましたら教えていただけないでしょうか。やはり、自分で選ぶよりお坊さん直々におすすめとあったほうが、楽しみながら読むことができるような気がするのです。

重ねてご回答ありがとうございます。

「生きる意味」問答一覧

生まれてきた理由

こんな歳にになっても落ち着いた考え方が出来ていないと思われそうですが、最近まで自分自身の事を客観視しながら答え探しをしておりました。(生まれてきた理由)ずっとみんなと同じような感覚だと私は思ってました。 怒り、悲しみ、喜び、様々な感情はみんな持っていて自身も自由かと思っておりました。 しかし、なぜかみんなと同じ行動しても 私は許されないが相手は平気で発信していることです。私を許さない人は多いです。 常識外れなことではなく、一般的な感情です。 親、子供、過去の同級生、過去も現在も職場の人、常にマウントを取られ頭の中ではちんぷんかんぷん状態にさせられてきました。 相手が勝手に嫉妬をし、嫌がらせや、無視、冷たい言葉を言うなどをしてきました。 何故それが子供の頃から多いのかわからず、人間関係に苦労しています。 決まって似ている人に限ります。 劣等感持っていて、嫉妬感が強く、承認欲求も強い、弱そうな人を見下したいと思っている…似た人からのマウントです。何度も同じ目にあいました。 私がこれかと思うもの、それは罰を受けるために生まれたという答えに行きつきました。 生まれる前の私は、人をバカにし、傷つけ、沢山の人をそういう風な扱いをしていたと思います。そのカルマなのかと思えてきました。 あぁ、私が怒りの感情を持つことも許されないし、一生バカにされる事で罪を償って行く生まれなのかとしみじみ思えてきました。 前世がそういう生き方だったのかも…と。 親や子供からも嫌われていた私は 償いなさいとの知らせだったのかと思ってますが、この世に罰を受けるために生まれてきた人はいると思いますか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

どうせなら、正しく死んで行きたい

10年以上通院している精神科の主治医は自分にとっての人生のメンターであり、白衣を来たその医師の中身はお坊さんのような方で個人的に大変な信頼と尊敬を寄せています。 わたしは今現在も社会から離れた日常で生活しています。日頃、散歩などしていると、はいキマシタ〜心のざわつき、ぼんやりした不安、視線恐怖、本来怒る必要のないイラつき、などなど。認知行動療法により、そんな感じたモノをメモ出来る範囲でメモしておき、クールダウン後日どうなったかデータを見返した結果、95%その不安事項は起きない&思い過ごし(妄想)でした。つまり、都度いちいち反応しない自分が確立されれば気楽な生き方が出来ます。でもコレが物凄く簡単では無い。簡単なのに簡単ではない。毎日積み重ね精進してますが。随分長いこと環境や親のせいにしてましたが、詰まる所こうなった因果は自分に原因があると理解しました。 ◾️わたし自身の質問です。 どうにもこうにも相変わらず「自分を大きく見せたい」という慢の心が健在です。ザ煩悩。 でも、もうそろそろ自分を諦めよう(明らかにする)かな?このままだとなんの覚悟も出来ず、(心が)中途半端に死を迎える気がします。10年前に比べたら疾患は劇的に回復してます。結果1番効いたのは抗精神薬でもなく、閉鎖病棟への入院でもなく仏教の智慧(釈迦の教え)と信頼する主治医との会話の積み重ね、です。が、-1000が-100になったようなものです(未だマイナスという)。焦っては居ません寧ろどう考えても感謝事案。故に焦る。 人は(もれなく)いずれ死ぬにしても自分はコレの為に死ぬ(死ねる)のだ!という目標物が未だ目視できません。 ◾️例えば、歩っているとゴミが落ちてます。自分はいったいいつになったら「心から」拾う事ができるのだろうか?と。多分、それが起点です。 これまで、ボランティア的な事に関心を寄せたり、デイケアに通ったり、精神に関わるあらゆるサービスは結果自分には合いません。もうお疲れお腹いっぱいです。 ちっぽけな分子以下の自分ごときが何、壮大なスケール語ってやがる、と。 我に返りつつ、己に怒りを覚える毎度このパターン。 結局、何も起きない(本来有り難き幸せ)日々目の前の事をやるしか無いのでしょうか?わたしの慢の塊がいつもこう語りかけます。山の頂上に立てたのにな、やらかしたなと。まだやれますか?ザ未練。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

こんな世の中で生きる意味

こんにちは。 私は30代にして初めて世の中(この世は地獄という事実)を知ったような気がします。 職場で母と同世代で私と同じ年頃の娘さんがいらっしゃる方と一年程一緒に働いた頃、その人が衛生当番の日に当番の仕事をし忘れていたらしく、その方はチェック表の担当者に自分の名前ではなく、私の名前を書いていました。 私はその事を同僚に聞かされ、見てみると確かに私の名前で勝手にサインしてありました。 もし、その日出荷分で異物混入が出れば、私が責任を怠ったという事になるでしょうから、その方は素知らぬ顔をしていれば良いのでしょうが、私が恐ろしかったのは、まだ何も事は起こっておらず追い詰められたシーンでもなく、自分がまずいと思っただけで、とっさに私の名前を書かれていたことです。 いつも上手く嫌な仕事をかわし、上手い言い訳でサボられていることも知っていましたが、更に衝撃的な一面を知ってしまい、もしかしたらこの人は空気を吐くように嘘がつける人なのではないかと、ぞっとしました。 私は自分の親のような世代の方の、その行動がとても信じがたく、そこから人と、どう距離を取ってよいのかわからなくなりました。 そのまま体調を崩して現在は仕事についていません。 何を希望に生きて行けばよいのでしょうか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

娑婆のニュース
仏教を知る ブッダの言葉
そらノート

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

縁切り供養寺大法寺