母親を信じたいです
母親を信じられるようになるにはどうすればいいでしょうか?
プロフィールに書いてあることが過去にあり、外に出られなくなってしまい、高校を中退しました。
その時、母親は献身的に私を支えてくれました。ただの義務感や責任感などではなかったと感じます。本当に感謝しています。
しかし、優しくされればされるほど、昔母親に裏切られ続けたり、責められたりしたことを思い出して、何を信じればいいかわからなくなってしまいます。
今は優しくても次は優しくないかもしれないといつもよぎります。
もう20歳になりますが、そんな気持ちが続いています。母のことは恨んでいますが好きでもあるので、恩を返したいと思っています。
はじめての投稿で読みづらい部分もあったかと思いますがよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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急がば回れ
こんにちは。
「プロフィールに書いてあることが過去にあり」とありますが、なぜ「外に出られなく」なり「高校を中退」することになったのかは事実関係がよく分かりません。よって、この点については回答内容に反映していません。
今、あなたは経済的自立の面ではどうなっているのでしょう。
お母さんの「献身的」援助によって、今は経済的自立が出来て一人暮らしも可能なのか、それとも未だ「高校を中退」した前後の状況が続いていて経済的にご両親に頼らざるをえないのか、ここが回答では非常に重要な点ですが、ご質問の文面及びプロフィールから明らかではありません。
なぜ、私がそのような点について指摘するかというと、「母親を信じたい」信じられないという状況はそこだけに拘泥すると中々好転しそうにないと感じるからです。社会人になって就労して、一人暮らしをして色々な人と出会って様々な経験をすると、かつての身内が一個の人間として客観的に捉えられることが出来ます。
そういう経験の中には、人間は必ずしも言行が一致しているわけでもなく、また自分の方でも言行が一貫していない矛盾や弱さなどを自覚することも有ると思うのです。
その時に、「昔母親に裏切られ続けたり、責められたりしたこと」と、「献身的に」「支えてくれ」たという一見相反する出来事が、理屈としての整合性が無いように見えて人間ってそんなもんだよね、と思えると思うのです。それは、他人事ではなく、自分も同様だから納得できるです。
この意味で言えば、「信じ」るのか、「信じ」られないかではなく、社会経験と自分へ省察から納得できるようになるか、なれないかの違いだと思います。
前述の通り、あなたが今どんな生活をしているかは分かりませんが、なるべく一度お母さんから経済的な意味、精神的な意味で可能なところで離れてみることをおすすめします。急がば回れ、です。
追記
せっかく縁があったのだから、あなたの不明な状況(就労、同居など)や、どんな所が「参考」になったのか聞かせてもらえると嬉しかったなあ。
質問者からのお礼
参考になりました。回答ありがとうございました。
うまく言葉が出なかったのでいろいろと省いてしまいました。すみません。
プロフィールに書ける分だけ追記しました。経済的な自立はしていないため、釋様の言うとおり、経済的に自立してみるのがいいかもしれないと思いました。
焦らずやってみたいと思います。