仏様のふりをする自分自身
昔から、私の中に悪魔のようなもう一人の(私)がいると感じます。
(私)は私に「お前はダメな奴だ、努力しても無駄だ」「周りの人はお前を馬鹿にしている」「周りの人間を信用するな、周りの人間はお前を理解しない。」「現実よりアニメの世界の方がいい、その世界から出るな」「死ねば好きなアニメの世界に行ける」と囁いていました。
今なら、それはお釈迦様の修行中に出てきたというマーラ、または煩悩、そう思います。
昔からその(私)は私を強引に、悪い方に導き、私はその(私)の言うがままにいろいろな罪を重ねました。中にはとても人に言えないようなこともあります。
しかし、夫と出会い、夫と神社・仏閣参りをするようになってから、私は変わりました。神仏にお祈りをすることにより、自分の心を強くすることができるようになり、(私)の誘惑を跳ね除けられるようになったのです。
霊場にいくことにより、自分自身の罪を見つめ、そのことを懺悔できるようになりました。
ちなみに、私は五大明王等の明王様に惹かれています。不動明王様にお祈りしたり、護摩祈祷に参加すると、その(私)や煩悩などが焼かれるように感じます。
そんな私の目標は明王様のように強く優しくなることです。その目標の為に毎日いろいろな努力ができるようになりました。
今では、主人や家族と共に生きていく為の強さを得ることができたと感じます。
頑張っていけば、自分がいずれ死んだとき、昔亡くなった父や明王様に会うことができると感じます。その思いが私の励みになります。
しかし、最近、私の中の(私)が狡猾になってきました。
以前は強気に私を悪い方向に導いていたのですが、最近、私が「自分が死んだ後、明王様やお父さんに会えるようにお仕事を頑張ります」と願うと、(私)が「あの世で、明王や父には会えない。そんなことの為に頑張る必要はないよ」と優しく語りかけてきます。
その時の(私)は恐ろしいことに、亡くなった父や仏様のような顔や声で優しく囁くのです。「頑張る必要はないよ」と。
心が折れそうになり、泣きそうになりながら不動明王様に祈ります。自分のマーラに負けたくないから。
でも、不動明王様に頼りきるのも駄目だと感じています。私も共に戦いたい願望が強いです。
(私)に勝つため、日常の中でできること、心掛けるべきことはありますか?
どうかお知恵をかしてください。よろしくお願いします。
はじめまして。幼い頃から父を亡くし、今は兄を除く家族を失いました いじめによるトラウマによって長年自分自身を責め続けたことが原因で引きこもりになってしまい、仮に仕事に就いたとしても長続きせず、転職を繰り返していたりと、辛いことをたくさん経験し数々の罪を犯してきました。 しかし今は色んな人と出会い、仏様・神様方と向き合うようになってからは暗闇を抜け出せそうです。 現在は沢山勉強中!罪滅ぼしも兼ねてお寺や神社等に参拝することが生き甲斐です。 明王様のように強く優しい心をもつことが目標!よろしくお願い致します。
過去のトラウマ等に囚われる・怒りやすい・考え過ぎるあまり前に進めなくなる・何かあったら必ず自分自身を責める・落ち込みやすい・物事を抱え込みやすい
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心穏やかに、日々の勤行を大切に。御恩を感謝していけたらね。
プロフィールも読ませてもらいました。
そうですか〜そんなふうに聞こえるのですね。
手を合わせて生きる中で、自己中心的な自分や愚かな自分にも気付かされますよね。その気付かされた自分は、誰もが持ち合わせているものであり、その心(煩悩)に勝つか負けるかではないのですよ。
あなたの場合は、負けたくない、戦うんだって願望が、煩悩になってしまっています。悩みを生んでいるということです。だから、また強く祈る。
それは悪いことではないですが、人の煩悩というのは、尽きることがないのです。次から次へと溢れてくるものなのです。貪欲(とんよく)と言ってね、もっと もっと、これではダメだ もっとちゃんとしなきゃ、もっとしっかりしなきゃ、もっと頑張らなきゃって。今のあなたは、力み過ぎているようにも思います。人が求めるものは、キリがないのです。
手を合わせる生き方は、自分の愚かさに気づき、そこに届いてくださる仏様を感じていくこと。湧いてくる煩悩を自覚しつつ、これでいいのだと納得していくこと。それもまた、自分の行動を改めていけるのです。
心の拠り所である仏様、そして信仰心は、頑張りなさい!と煽られるものではなく、共に生きていきましょう、そんなあなたのそばにいますよと、見守り導いてくださるものなのです。
もっと頑張らなきゃ、強くならなきゃと願ってしまう あなたが、そのために、「頑張れたら仏様や父に会える」と、自分に課していたのではないですか。だからこそ、頑張るばかりだけが救いではないとの仏様のお心に、でもそれでは会えないという 自分が課した条件を結びつけて、あなたの心に届いてしまったように思います。それも、あなたが求め過ぎた貪欲かもしれません。
心穏やかに、日々の勤行を大切に。今日もありがとうと御恩を感謝していけたらいいですね。仏様におまかせしていかれたらいいのですよ。いつでも おそばにいてくださるのですから。
合掌
仏法を洲(島)とする
私達の心は、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩の激流に流されやすいですよね。
しかし、洪水で川に流された人は、川の中洲(島)につかまり這い上がることができれば助かります。
仏教では、煩悩の激流に呑まれたときに、法(意識の対象)を洲(島)として利用し、激流から這い上がります。
具体的には、たとえば「南無何何明王」など、好きな明王様の名前を唱えてお姿を思い浮かべてみてはどうでしょうか。
要は、煩悩による妄想雑念に流されている意識を、別の安全な対象に帰してやるのです。
実験ですが、口に「あいうえお」と唱えながら同時に意識で「12345」と念じてみてください。
意識が忙しくて、妄想雑念にさく余裕がないので、一時的にとはいえ心を「洲」に集中できます。
明王様のことを念じる心を静かな満月だとしたら、妄想雑念は月を一時的に隠す雲。
雲は月を隠せても、月を壊せません。
欲・怒り・怠け・プライドが過ぎ去れば、再び静かな満月に心を帰せる。
あなたの心には帰る場所(明王様)があるので、大丈夫です。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。とても心にしみました。お話を聞いて、子供の頃に経験した辛さも、今の貪欲を生み出していたのかもしれないと感じました。でも、過去は過去、今は今。仏様方に出会えたことに感謝し、あまり気を張らず穏やかな心で過ごせるように心がけ、これからも仏様方をお慕いしていきます。お話を聞いてくださり本当にありがとうございました。
願誉様、ご回答ありがとうございます。とても勉強になりました。
心を落ち着かせる方法等も教えていただき、本当に嬉しいです。
辛い時だけではなく、心穏やかでいくために毎日行おうと思います。
そしてこれからも、仏様方を信じて前を向き歩いていきます。お話を聞いてくださりありがとうございました。