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知識と智慧

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有り難し有り難し 9

よろしくお願いします。
いつも坊様の説法を拝読し勉強になっていますが、学んだことを理解し知識として頭に蓄えてるだけであって、私自身が何も変わっていない。所謂、行動が伴っていない状況です。
私の解釈ですが、知識=頭の理解 智慧=心の理解 心=価値観、判断基準だと捉えています。(間違っていたら指摘してください)
私の事例ですが、知識は豊富になればなるほど、俺は賢くなったと勘違いして(仏教的に理解していない)他者を見下したり批判し攻撃をする道具に成り下がってしまいます。それによって人間関係が悪くなったりもしました。
その貴重な知識を自分自身に向けて体験的に理解をすることで智慧に変換できると思うのです。実践することは、とても難しいことですが。その正しい智慧によって価値観や判断基準が変わり行動することによって人生が良くなると思うのですが、その知識から智慧に変換する方法が分からないのです。解りずらい文章で、すいません。坊様はどのように実践されてますか?

2022年5月13日 11:01

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

菩提心のない知識や教育はズル賢いエゴイストを生む可能性もある

知識とは頭で会得した情報。
智恵という場合は会得された体験と言っても良いでしょう
智慧という場合は身心の上に「わたくし意識」が離れ切った様子を言うのです。智慧とは知識の増減や有無にかかわらず、わたくし意識が丁寧に静まっている状態なのです。
ガツガツしたエゴ、オレオレしたエゴの状態はアンチ智慧なる状態です。
智慧とは我・わたくし心のなきこと。智慧とは般若。般若とはわたくし意識、自我・エゴ・ガツガツしたわたくし意識のない様子なのです。これは仏教聖典などにはきづきとか目覚めと訳されることもあるようですが、本来の様子はこの身心に「自分というエゴ的な主体性を認める心」のない様子を智慧というのです。
それは仏教経典や仏教書に求めるものではなく、坐禅、禅定、心の能動意識をおさめて行く中ではっきりする内容です。

知識が豊富になるということも「豊富」ということの内容を追求するべきです。ただ情報量が増えるだけで豊富というよりも、ただ漠然と大量にあるばかりです。
人間性も豊かになってこそ、その知識が世の中、自他ともにすくわれるようになるはずです。沢山の土地を持っている、畑を持っていると言っても、農作物が育たなければ豊富とは言えませんし、沢山持っていてもそれが広く廻らされることがなければ、自分も他人も真に豊かになったとは言えません。
知識は知識。情報。
智恵は智恵。体験。活用法。
ですが智慧は般若ですので、私なき事。
ただ古木のように私がないという程度であれば冷たい人です。
だからこそ、そこに菩提心や慈悲心が無ければ血の通った仏の教えとはならないのです。
世界には私ごときの一本足りない丹下凡下よりもさらに豊富な知識をお持ちの僧侶たちもたくさんおられます。
ですが、薬もワクチンも知識も智恵も救いの作用として用いられることがなければ宝の持ち腐れとなります。
菩提心とは救いの作用となるように心を費やして活路や導き先を見出してより良い方向へめぐらし向ける精神でもあります。
お釈迦さまも悟りを得られて山にこもってそのまま一生を過ごされようと思われたそうですが、梵天勧請という自身の内なる善導精神のはたらき(神とはその象徴)によって、この功徳を広く衆生にめぐらし向けることを決意されました。
あなたもその精神があるはずです。自他を救うべく良いカタチに咀嚼して多くの人々を救いへと導いて差し上げてください。

2022年5月13日 16:04
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

丹下様、ありがとうございます。
何度も読み返しました。
私の行動を振り返ると、やはり自我に囚われていたと思います。我を無くし利他の精神であることが菩提心(智慧)ということでしょうか?智慧の概念を履き違えていたかもしれません。智恵と智慧は全く違った意味なのですね。日常生活をしていく中で実践は難しいと思いますが利他を意識して精進します。ありがとうございます。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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