亡くなった母が夢に出てきます
大好きな母が亡くなってから四十九日も終わり、2ヶ月少し経ちましたが、まだ声が聞こえてきそうで母の死を受け入れられていません。
新年度がスタートして、不安もたくさんある中
ほぼ毎晩のように夢に母が出てきます。
そして夢のようでは母の私の手を握り、勇気づけてくれています。母も私を見守ってくれているのでしょうか。
母が紡いできた人の縁。有難いのことに四十九日を過ぎても、母の友だちがお参りに来てくださったり写真やお手紙をいただいたり本当に皆さまから愛されていたのだと嬉しく思っています。
いつまでも泣いていてもと わかっていますが
突然、会話や楽しかった思い出、熱心にアドバイスをしてくれていた母を思い出し涙ぐんでしまいます。
仕事をしながら、休みの日には気分転換できる楽しい予定も入れて前向きに進んでいきたいのですが。来月は母の日もあるので、きれいな花でも飾ってみたいと思います。
どうかアドバイスお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
泣いてもいいのですよ
優しいお母さんだったのですね。
思い出した時は泣いてもいいのですよ。
ただ、車の運転中は思い出さないように気をつけてね。
もし運転中に思い出したら、車を路肩にゆっくり止めて、涙が止まるのを待って下さいね。
それにしても毎晩のように夢に出てくれるなんて、お母さんはあなたが悲しみに沈んでいないか気になるのでしょうね。
少し羨ましいですよ。
私の弟なんて年に1回位しか夢に出てくれないんですよ。
極楽浄土での生活が楽しくて私の夢に出る暇が無いんだって。
母の日に綺麗な花を飾るのは良いですね。
カーネーションかな?
お母さんも喜ぶと思いますよ。
夢の中のお母さんとたくさんお話をしてください
過去の問いも拝読しました。大変でしたね。がんばりましたね。
明治時代までは、服喪という制度があって、親が亡くなった時は、一定の期間、家で静かに暮らすように、というきまりがありました。親の場合は13か月。ちょっと昔までは、それくらいゆっくり悲しんでいていいですよ、っていう社会だったんですよね。今は「忌引き」で2、3日会社を休んだら、すぐに職場復帰ですものね。あとは年賀状のやりとりをしないくらいですものね。せわしない世の中です。
人の心は、そんなに簡単に癒されるものではありません。あなたの心が正常です。どうぞあわてずゆっくり気持ちを整理してください。夢の中のお母さんとたくさんお話をしてください。
質問者からのお礼
喪中という言葉はありますが、本当に年始の挨拶を遠慮するくらいで、四十九日をあけると普通の生活に戻ってしまいます。明治時代の服喪制度は存じ上げませんでした。忌引き休暇は私の職場では土日を含めて5日との規定で、しっかり哀しむ間もなく仕事に戻っていきました。まわりの同僚たちや上司も温かく迎えてくださり、職場では涙なんて見せられないから必死で何か別のこと考えて涙をこらえています。
先月、四十九日法要も済みましたが母の人徳もあり、今もお参りに来てくださる方がいらっしゃったり、イカナゴを炊いたから食べてと届けてくださったり有難い限りです。
きっと皆様の思いや本当はいつも寂しくて泣きたい私の思いも母には届いていると思います。
そして見守ってくれていると信じています。
そんな母にも私が心から笑い、幸せな姿を見てもらえるように父親と2人、時には家に帰って思い切り泣いたとしても前を向いて歩いていきます。
心温まるご回答とアドバイスそして過去の投稿もご覧いただき、ありがとうございました。