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廃業を考えています。

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7年間働いた職場で、セクハラとパワハラに耐え、貯めたお金で同じ職種で、希望を持ってお店をオープンしました。

初めはうまくいっていたのですが、店舗前のスーパーがコロナの影響で倒産。
一気に人通りがなくなり、見込んでいた売り上げを達成することができなくなり、家賃すら賄えなくなりました。
ネットで集客をしようとしたり、チラシをまいたり、そのほかできることはしました。
マイナスを補うために別の仕事で、休日や夜も働きました。

スーパーが倒産して一年、別店舗が入るかもと希望を持って続けてきたのですが、商店街の寄り合いに参加した際、まだなにも動いていないと聞いて心が折れてしまいました。

だけど、マイナスを垂れ流しつづけることはできないので
閉店、もしくは事業販売の方向性で動いています。

せっかく頑張って得た店舗を諦めるのも
諦めるために行動している自分も嫌になります。
二年もたたずに閉店するということに、
オープンを祝ってくれた人に申し訳ないし、陰で情けないヤツと思われるのではないかとマイナス思考になってしまいます。
(いつもなら人の意見なんて気にならないのに)

とりあえず、淡々と閉店にむけて動いていますが
やはり苦しく、情けなく、つらいです。
開業で借りた融資の返す当てがあるのがせめてもの救いです。

この苦しい現状を乗り越える心構えをご教授いただけますと幸いです。

2022年5月26日 16:11

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの頑張った足跡は消えることはないんですよ!

質問読ませていただきました。

コロナ禍に振り回される理不尽さ、ご自身の運の悪さ、報われない苦労など・・・色んなことが混じり合って苦しんでおられるのですね。
心中お察しいたします。

さて、人生とはなかなかうまくいかないものです。
少し軌道にのったかと思えば、別の問題が発生する。時によっては、自分が苦労して築いてきたものが全て崩れ去ることだってあります。
私も、自分の人生の中で、何度も挫折を味わい、多くのモノを捨てて人生の方向転換を迫られる場面がありました。じゅんあいさんの苦悩の一端だけでも理解することはできるかもしれません。

しかし、どんなに自分が落ち込んでいようと、時の流れは待ってくれません。自分の現状とは関係なく時は流れ、周りの環境は今まで通り変化し続けていくのです。
疲れたときや挫折したときや上手くいかないときは、一度立ち止まって心身を休めたり、ゆっくり自分を振り返ってみるのもいいでしょう。しかし、どこかで踏ん切りを付けて前へと一歩を踏み出さなければ、いつまでもそのままです。はまってしまった落とし穴から抜け出すことはできないのです。

じゅんあいさんは7年間のセクハラとパワハラに耐えながら、お金を貯めて自分のお店をオープンされました。それは誰にでもできることではありませんし、いつまでも誇っていいことでしょう。
コロナのせいとは言え、お店を閉店することになったとしても、じゅんあいさんの頑張った足跡が消えることはありません。そして、お店のオープンを祝ってくれた人は、そんなじゅんあいさんの頑張りを見てきた人たちでしょう。そのような人たちは、「大変だったね・・」という気持ちはあったとしても、「情けないヤツ」なんて蔑む気持ちなんて微塵もないはずです。

今は人生がうまくいかないので、マイナス思考に陥り、前向きに考えることは難しいかもしれません。
しかしそんなときは、友人や信頼出来る人にグチを言ったり、悩みを聞いてもらってもいいでしょう。ハスノハでもいいですし、私個人に言ってもらっても構いません。ゆっくりと立ち直って、新たな一歩を踏み出し、豊かな人生を歩んでくださいね。

何か少しでも参考にしてみて下さい。
不安でも追加の相談でも何でも良いので、必要ならばプロフィールを参照いただき、メールやZOOMの個別相談をご利用くださいね。

2022年5月26日 22:00
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有り難し
おきもち

個別相談可能
京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお勤めさせていただいております。山手の方にある、自然に囲まれた日蓮系宗派のお寺です。 13才から僧侶となり、たくさんの方と関わってきました。 現在は42才となり、3人の子育てに奮闘中です!また、教育関係の仕事にも勤めたことがあります。 自分の経験したこと全てが私自身の糧となり、それが人を救う力になればいいなと、何があってもポジティブに考えるようにしてます。 その経験を活かし、 ・人間関係 ・将来の不安 ・仏事全般 など、様々な質問に答えていきたいと思っております。 何か悩み事がある、個人的に相談したい、質問について他の人に知られたくない、という方は遠慮なくメールにてご相談下さい。 今までにたくさんの方からメールにてご相談をいただいておりますので、気軽にご相談してみて下さいね! また、ハスノハの回答には字数制限があり、私の回答に対するお礼に返事が出来ない場合も多々あります。ですので、返事を望まれる場合もメールにてご連絡下さい。 メールアドレスは下記をご参照下さい。 一両日中に返事をするようにしておりますが、こちらからの返事が届かない場合は、 ・メールアドレスを間違えていないか ・受信拒否設定はどうなっているか を確認して、もう一度メールを送っていただければありがたく思います。 また、お寺に直接訪問されてのご相談も受け付けております。その場合は、まずメールか電話にてその旨をお知らせ下さい。 お寺の予定と照らし合わせて、日時を調整させていただき、お寺の詳しい場所などをお伝えいたします。 ただし、電話回線が1本しかないこと、他の法務の電話が多いことから、失礼ながら電話での悩み相談は承っておりません。 直接お寺に参詣されての相談か、メールにての相談に限らせていただきます。 また、直接お寺に参詣されての法事や、ZOOMを通じての法事なども受け付けておりますので、希望があれば何でもご相談ください。 メールアドレス joukai4378+soudan@gmail.com 電話番号 0774-65-0161
法事や行事がなければ、平日・休日共に 9:00~12:00 14:00~17:00 の時間帯で相談できます。 土曜日や祝日の前の日なら、お寺の予定が何もなければ 21:00~ でも相談できます。 他にも調整できる場合もあるので、お問い合わせください。 人に話をしたり言葉に出すことで、気持ちが晴れたり、考えがまとまったりすることもあります。 どうぞ遠慮なくご相談ください。

カタツムリ と ヤドカリ

カタツムリは自分の殻をもって殻ごと移動し、殻と共に一生を終えます。
本体と殻が完全同期です。
ヤドカリは宿を借りて生活をする。
これでなければいかんということがない自由な活動体。
これでなければならんという貝を背負うばかりではなく、時にはイソギンチャクを背負うこともあるそうです。
申しあげたいことは、人はカタツムリでもなくヤドカリでもありませんが、自由な選択肢があるということです。
お店はあなたではなく、本体はあなた自身。
本店があなた自身なのです。
あなたの脳、心臓のあるところ、あなたの息するところ、あなたの手足を動かすところがあなたの職場であり、家であり、お店であり、貝なのです。🦀🐚
ほとけ我に入り、我、仏に入る。
私も住職地を任されたところはお寺も何もありませんでした。青空。寺がなければ坊主はお寺の活動、宗教活動ができないのでしょうか?
そんなことでは勤まりません。お釈迦さまはお寺なんてもっていませんでしたよね。
あなたも仕事をするということは?
この身心が仏であり、本体、本尊であり、あなたは生きた活動体なのです。
他の職務をされる方であっても、だれもがみんなスキルがあれば職場がどこであってもそのスキルを発揮できる。

知人の飲食店はコロナ下でお店に人が来てくれないのでインスタを通して全国に発信してパウチ加工した商品を全国に発送して、通常業務をやっていた時よりも儲かったということを話しておりました。
ヤドカリの貝に縛られることなく、自分の本体を大事にするように、あなたは貴方が本体であり、あなたが社主、店主、社長。もう、これからは人に使われなくて済むのです。自由をもう一度、見つめ直してみてください。
あなたがスキルを持っている本店なのですから、どこでもあなたのスキルは発揮できるはずでしょう。

2022年5月28日 6:59
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

挑戦するもの陰口を恐れるなかれ

商売は厳しいね
仕方ない

私も色んな商売や法人運営をしてきているけど継続は難しい

勝ち負けで言えばいつも負け戦だし
人に応援してもらう以上
申し訳ない時もある

今は色んな人のお陰様でそれなりにやれてるけどね

厳しい
それが現実
でもこれも必要な経験だと考えてください

これからの心構えは
誰かの応援も同時にし続ける心構えを持って
今向き合うべき人に誠意を持って話し対処すれば良いと思いました

今はとにかく要らないものを捨てて
身軽になれるだけ身軽にして

新しい事をまた始めなければね

挑戦をやめない事
何事もやめなければすぐ結果にならなくても必ず未来に役に立ちます
さすればこの失敗の経験は役に立つ

本当に未来は予測不能なんだよ

苦しくて足を止めたら
未来への種まきができなくなってしまうでしょう?

本当に応援してくれた人はあなたのその挑戦する姿勢を応援しているんだよ

ありがたい事だよね

だから挑戦をやめない限りみんな味方のままなんだ

合掌

2022年5月27日 17:59
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有り難し
おきもち

個別相談可能
山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロップアウトするなど金銭的にも苦しみ多面的な貧困を経験。 それらを乗り越えた事は、今では自身を照らす灯り。 色んな社会的活動をしてますが、 自然の中で遊ぶことが大好きで、子供達に体験活動やイベント、木工教室などを催しております。 お寺では草花葬墓地などの永代供養も宗派問わずお迎えしております。

質問者からのお礼

お礼を書いたつもりだったのですが、反映されておらず
遅くなってしまい申し訳ございませんでした。

たくさんのお言葉、ありがとうございました。
私に寄り添うようなお言葉に
とても気持ちが軽くなりました。
進むべき道は決まっているので、気持ちを強く持ち進んでいこうと思います。
本当にありがとうございました。

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