大好きな父
こんにちは。今回初めて投稿させて頂きます。
私自身一人っ子ということもあり、幼少時から本当に両親に大切に大切に育ててもらいました。
特に父には何度も2人旅に行ったり、優しく可愛がってもらいました。
私自身も父が大好きでした。
そんな父が先月の27日に他界しました。
65歳でです。
私自身にとって大好きな、35歳になった今も恥ずかしながら父に甘えさせてもらっていました。
父はいつも優しく温かく自分のことを大切に大切に可愛がってくれました。
2人で毎年夏にウナギを食べに行って(連れて行ってもらってと言ったほうが正しいですが)、そのあとに2人旅したり、年末にはすき焼きを食べさせてくれたり、時々に応じて中華街に連れて行ってくれたりプロ野球観戦や旅行もしばしば2人で行きました。
そんな大好きな父が他界し、普通なら後悔なんて残らないと思いますが私自身、後悔ばかりです。
父がいくらコンディション悪い時でも、私が出ていくときに見送ってくれたり、いろいろ適宜アドバイスをくれたり・・・
ですが、私はそんな父の温かさを何だと思っているんだというような言動を取ってしまうこともしばしば・・・
父は優しいから何も言いませんでしたが(翌日は何事もなかったかのように笑顔で接してくれましたが)今思えば、優しい父だからこそそのような接し方をしてくれましたが、内心傷ついただろうなぁ~と・・・
特にPCやスマホの使い方を教えてと言われた時に乱暴に教えてしまったり(教えたといえないですね)、コンディション悪い時に携帯会社からの封書についていろいろ言ってくれたにも拘らず、私自身が馬鹿丸出しの意地っ張りをしてしまったり(そのあとの父の寂しそうな顔が今も・・・です)その他にもいろいろ・・・
結局、そのことについて納棺時にお手紙の中で謝りましたが、直接謝ることができずに・・・となり後悔ばかりです・・・(なんてひどいダメな息子なんだという感じですね)
本日でちょうど1か月が経ちましたが、そのような後悔ばかりでなかなか悲しみから立ち直れないです。
きっと父はコンディション悪い時にも拘らず一生懸命言ってあげたのに、あんな言動されて傷ついたまま天国に・・・と思います。
直接謝れずに・・・私自身これからもその重罪という十字架を背負いながら生きていくことになります・・・つらいし、悲しいし後悔ばかりです・・・
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが息子でよかったと微笑んでくださっていることでしょうね
慈愛に満ちた素晴らしいお父さまだったのですね。あなたとの時間を、何をおいても大切にしてくださっていたのですね。
私ね、自分が親になって思うのですがね。
どんなときも子どもの存在が生きる力になり、励みでもあり。成長とともに反抗があったりするのも、この子のおかげで親にならせてもらえたのだなって。この子の存在が、親という立場を与えてくれた。子が意思を持ち、自分にありのまま ぶつかってきてくれる姿も、なんて愛おしいのだろうと。親子という関係が、特別で尊い。いつもそう思っています。
あなたのお父さまも、そうだったのではないかしら。あなたが今、親子で過ごした時間を振り返りながら、感謝と後悔を口にされるのは、それだけ大切な人だったから。「大好きな父」だと涙するあなたに、お父さまは 生きてきてよかったと、あの子が息子でよかったと微笑んでくださっていることでしょうね。
仏様の世界からはね、こちらが見えているのですよ。仏様がね、あなたの声や姿を届けてくださる。
どうか、十字架だなんて思わずに、仏様に手を合わせて 毎日をご報告なさってください。お父さまに届けましょう。
繋いだ命。お父さんの子として精一杯に生きていますよ、とね。
思い出を聞かせてくださり、ありがとうございます。その思い出は、これからも あなたを支え、背中を押してくれることでしょう。
私もこちらから、お父さまを想い 手を合わせますね。
合掌
質問者からのお礼
心温まるお言葉、本当にありがとうございました。
父が他界してから、頭のことがいつも父のことばかりです。
昨日が月命日でしたが、毎日遺影とお骨に話しかけています。
時には父のLINEにメッセージを送信したりもしています。(既読にはならないですが、きっと読んでくれていると信じて)
他界してからですが、お葬式の打ち合わせをしている時に腕が暑いくらい温かくなったり(きっと隣で腕を握ってくれながら一緒に打合せに参加してくれていたのだと思います)、告別式の日の早朝にリビングに向けて人影が向かっていったり(母はその時間にリビングにはいってないとのことだったので、きっと父のはず)、寝る前にベッドに横になりながら、父のことを呼ぶと数秒後に音がしたり、お風呂に入った後に裸足で歩いていると、ある部分だけが温かかったり(お風呂に入っている間、きっと父がそこに立っていたのだと思います)、散歩中も掌が温かかったり(手を握ってくれながら一緒に散歩してくれていたのかな??)・・・目に見えない、声が聞けないようになってからも間違いなくいつも今まで通り父が近くにいてくれていると感じることが多々あります。
これは間違いなく、父が今まで通り一緒に生活してくれているんですよね!?
夢にも時々出てきてくれて、一緒に微笑みながら寝てくれたり、ある時は温かく抱きしめてくれたり(久々に抱き着いた父の胸が本当に温かかったです)します。
あともう一つエピソードがあり、iPhoneの写真はこちらではコントロールできずにアトランダムに1枚の写真が映し出されるのですが、その写真が葬儀の日は不思議と父が微笑んでいる写真が写し出されたり、父のことを思うといろいろな父の写真が写し出されます。
これも偶然かもしれないですが、偶然ではないような気もします。
このように考えると間違いなく父は今も確かに目に見えない声が聞きないですが、今までと同じように一緒に生活してくれている気がします。
僕にとっては大切な大切な大好きな大好きな日本一、いや世界一の父親です。
そんな僕をずっとどんな時も可愛がってくれた父に対して情けない限りですが後悔ばかり・・・
四十九日法要の日と父のお誕生日が重なってしまいましたが(こちらも本当に父に対して申し訳ない気持ちです)、当日の夜は今まで通り、何かプレゼントを購入して父の誕生日と父の日をお祝いしようと思います。