怒り方がわかりません。
私は解離性障害を患っていて、怒りを溜めて溜めて、元旦那に爆発を繰り返していたのですが、カウンセリングを受けてから、穏やかになってしまい、不貞をおかした元旦那とも別れ、日常のストレスはたくさんありますが、なぜか怒らないで物事がすぎるのを待っていると、うまく行くことが多いので、一人で家でぶつぶつ文句を言ってみたりするくらいで、人に、私は怒ったよ!と表現することができません。
本当は怒っていても、表現しない人生でもいいのでしょうか?
それとも、これは、私の中に怒りを溜めている状態で、不健康でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怒りも問題解決法のひとつ
こんばんは。私もきっと、ほとんど「怒らない」人です。それは別に坊さんだから抑えているのではなく、「怒らなくても済む」方法を見につけていると考えています。
アンガーマネジメントという言葉がありますが、自分がどういうメカニズムで怒るのか、というのを理解していると、怒るというのが自分にとっての問題解決の一つの形であると気づきます。そして、それへの解決は「私は怒っている!」と表現する以外にもあること、よりよい解決方法を探せたりするのです。
もちろん、相手の行動を変えるべきだと考えることもあります。そのためには「俺は怒っている。お前何とかしろや」よりも「こうしてね」「こうならできるかな」を提案した方が予後がよいのです。そして実に「そのままにしておくと勝手に解決する」問題も多いのです。「独り言をブツブツ」は私もやります。でもそれは、自分の中で繰り返し増幅するのではなく仏様に愚痴を聞いてもらうつもりでやります。
怒りというのを、「未解決の問題がある」と仮定して見ていくと、「怒らないで済む」ようになっていくでしょう。問題が起きたときに、色んな選択肢があるのは、良いことだと思いますよ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
そうなのですね!怒りは、未解決の問題があるだけなのですね。小さな頃から、自分の怒りが怖くて仕方なかったです。
助かりました。どうもありがとうございました。