謝罪、償いをするために
※いじめていた話などがあり、気分を害するもので申し訳ございません。
私は学生時代、友達に対して横柄な態度を取り、皆疎遠になりました。約束を守らなかったり、無視をしたり、悪口を言ったりしていました。小学生の時には、他の友達を巻き込みいじめをしたこともあります。その子を登校拒否にまで追い込みました。私はいじめの主犯にされたと思い込んでいましたが、最近母から、私にぶつかってきたのに謝りもしなかった等のその子の態度が気に食わない、と私が言ったことが発端だったと言われ、大事なことも忘れて被害者ぶっていた自分に絶望しました。友達の好きな人と知りながら告白して付き合ったこともあり、当たり前ですが友達を激怒させました。
社会人になってからは、前の職場では、腐った性格に加えて努力を怠り、いつまで経っても一人で仕事ができず、年下の先輩を困らせ泣かせ、上司や社長まで頭を抱えるほど職場を引っかき回して退職しました。
その時その時で謝罪はしてきましたが、到底許してもらえるものではありません。死んでお詫びしようと考えていますが、そんなの自己満足かもしれないと、罪滅ぼしにはなりませんが、前の職場に寄付するための貯金や子どもに勉強を教えるボランティアをしています。しかし、これもまた他の家庭のお子さんたちを利用しているようにも感じています。
また、子どもがおりますが、自分の性格が遺伝するのでは、私のせいで精神的に傷つけてしまったらどうしよう、子供を持つべきではなかったのではないかと今更ながら考えています。
やはり死んでしまいたい、でもそれは自分が楽になりたいだけだ、せめて今自分と繋がりを持ってくれている人に恩返しするため、自分ができる精一杯のことをしようと思うのですが、過去に絶望して何も手につかなくなり死にたくなります。
何度も同じことをしてきた自分が本当に気持ち悪く、毎日毎日心の中で謝っていますが、どうしたら少しでも償いができるのでしょうか?ここまでのことをしておいて許してもらおうとは思いませんが、心構えなど何かヒントをいただきたく、質問いたしました。
長文申し訳ございませんでした、ここまでお読みいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
なるほど
これは根深い悩みですね
若いうちは内省が伴わない事は珍しくありません
己も未熟さも
失敗を経験して初めて痛みとして
自覚していくもの
貴女だけが特別では無い
皆そのプロセスに変わりはありません
その痛みを知ってからの人生が本当の思いやりや思慮深さを内包した
素敵な人生がやっと始まるのです
寄付も自死も誰のためにもなりません
お気づきのように寄付も自死も己が罪の意識から逃れたいがための発想です
逃げてもその先には楽はありません
これではボランティアも偽善になってしまいます
ボランティアは自分の思いやりを磨き
お互い様を学ぶ為のものであり
決して罪滅ぼしのために行うものではありません
物事には正しい心構えがあります
お子様に悪い部分が遺伝するとかもという懸念ですが
これも大きな間違いです
遺伝が伝わるのは肉体的部分においてのみ
と考えるのが科学的です
精神や性格はまた別です
問題は貴女が同じと考えてしまう事で
育児に怯えを持つと
子供に厳しくなりすぎたり
自分を投影してしまうことになり
子供の健全な育成を阻害します
子供は貴女と全く違う人格の一人の人間であり貴女のコピーではありません
貴女を超えていく
又は気づきくれる存在として大切に扱ってあげましょう
貴女は今までの過ちから逃げる必要も攻める必要もない
そこから得た気づきを活かし
己をコントロールし
これから出会う人に愛という形で表現すれば何も問題無いのです
これが仏の道
合掌
質問者からのお礼
道をお示しくださり、ありがとうございます。
人生を全うします。