被害恐怖
こちらで何度か相談させていただいてる者です。現在私は強迫性障害の治療をしてます。最近被害恐怖が出てしまい外へ出るのが怖くなってしまう時があります。
具体的にはもしも外で刺されたらどうしよう。外食したときにもしも毒が入ってたらどうしよう。通勤のバスでテロが起きたら怖い。とどんどん不安になってしまいます。(先日は他人の銀色のスマホが一瞬ナイフに見えてしまいました。その後そんな事はありえないと思いその場で気持ちを落ち着かせました。)毎日そんなことは絶対にありえないと頭では分かっていますが、そんな考えが頭を
よぎってしまいます。私はどうしたらよいでしょうか。(現在心療内科で薬を処方してもらっています)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「かもしれない運転」
こんにちは
自動車の運転免許の講習などで、「だろう運転」「かもしれない運転」という言葉を習います。
「だろう運転」とは「歩行者がいるけど待ってくれるだろう」「対向車が譲ってくれるだろう」などと自分の都合の良いように判断し運転する自己中な運転をいい、そんな思い通りに周囲が動いてくれる訳がないので、とても危険な運転です。
「かもしれない運転」は「歩行者が飛び出してくるかもしれない」「対向車がスピードを上げてくるかもしれない」などと危険な状況を予測しながら運転することで、結果として安全運転となります。
もちろん過度な「かもしれない運転」は、たとえば不要な急ブレーキが後続車との衝突を招くなど、事故につながりかねませんが、注意することは大切ですね。
あなたの心の状態も、「かもしれない運転」になっているのでしょう。それは危険を回避するのに適した状態であるともいえます。危ないと思ったら危険から離れて過ごすと良いでしょう。
過度な心配は生活に支障をきたしますので、お医者さんに相談し、きちんとお薬をもらって正しく服用するようにしましょう。
いつ死んでも良いと思う
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、臨終の瞬間に阿弥陀仏が迎えに来てくれて、極楽浄土に往生できます。
つまり、南無阿弥陀仏と念仏している人は、いつ死んでも安心。
恐怖の前提が「死にたくない」なら、そもそもいつ死んでも良いじゃないかと思うのはどうでしょうか。
私は車を運転中も、「もしも今事故に遭って死んでも極楽浄土に往けるから幸せだ」と思うときがあります。
また、恐怖を感じるたびに「南無阿弥陀仏」「いつ死んでも大丈夫」を思い出せる思考回路が身についてきました。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
確かに神経が過敏になっているので気持ちをリラックスさせて
薬を飲みながら生活していきたい
と思います。お優しい言葉をありがとうございました。
ありがとうございます。いつ死んでも良い。それぐらい気楽に考えられるよう生活していきたいと思います。