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不安になります。

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

結婚してから今が一番穏やかな毎日を過ごしています。というのも近くに住んでいた両親が他界した事で、わが家の用事・心配だけしていれば良くなったからです。この生活になってから4年になりますが、もうそろそろ何か悪い事が起こるんではないかという気持ちに駆られます。
家族が家の中で揃っている時はそういう気持ちは起こりませんが、私ひとりで家に居る時に家の電話が鳴ったりすると、何か悪い知らせではないかとほぼ毎回ドキドキしてしまいます。
両親の生前に、母が買物忘れをした物を届けて欲しいとか部屋の電球が切れたから…などの用事で掛かってくるのはしょっちゅうで、具合が悪いという連絡で実家に駆け付けて救急車を呼んだ事も何度もありました。
そんな日々が10年位続いたと思います。
こういう事が原因かと思うんですが…。
電話の呼び出し音が怖いです。
予期せぬ事は誰にでも起きうるのは分かってますが、必要以上に恐れている気持ちはどうしたら治まりますか?
もちろん、今となっては両親は愛おしい存在で責める気持ちなどはありません。
どうかこんな私にお言葉を下さい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いは天に通じる

これは良い意味で使われますが、必ずしも良い思いばかりではありません。
悪い思いは魔に通じます。
不安を一番喜ぶのは人間の不幸を食となす魔です。
あなたの不安を魔が聞き入れ、現実のものとするのです。
不安ななったら南無妙法蓮華経と何度も唱えてください。魔は悉く退散します。
今、日常の隙間を不安で埋めていますから南無妙法蓮華経で隙間を埋めてしまうのです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
すぐに実行します。

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